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2009/07/12(日)
「新しい人生の生き方」大嶋博道牧師
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伝道献身者奨励礼拝 〈聖書)イザヤ書6:1〜8・ローマ12:1〜2 人は何に出会ったら変わるのだろうか。ある心理学者は、人の人生は出会いで変わると言う。物、人、思想、そして絶対者との出会い。
本論 今日は、イザヤの召命の記事からイザヤが変えられる様子をみたい。 1.危機との出会い(試練との出会い)―イザヤは1章において(今日のテキストの出来事以前に)すでに預言者活動を始めている。つまり、すでに預言者として立てられた器であった。 しかし、6章で召命の記事が記されている。これは、イザヤにとって本当の召命(第二の召命)と言われている。1節にウジヤ王が死んだという記事がある。ウジヤ王は52年間も王として統治していた。その間、国は安定し、経済的繁栄と物質的豊かさを誇っていたのである。しかも、ウジヤ王とイザヤは親戚関係にあったと言われている。だから、イザヤにとって、ウジヤ王の死は、これから国やイザヤ自身に起こる危機を感じさせる出来事、存在の根底が脅かされる危機的体験だったのである。 人が危機や試練に遭うことは辛くて悲しいことである。しかし、同時にそれらのマイナスと思われる経験は「豊かな成長」に導かれる機会でもある。
2.神の聖なる臨在に触れる―これは言い換えると、神が近づいたと言えるだろう。神がイザヤに近づいて、イザヤは神の臨在に触れた。イザヤは神の臨在に触れ、本当の自分を知った。「もうだめだ」と、自分の存在の醜さを知った。聖なる神の臨在に触れると、人は自らの罪深さに気づき、霊的死を体験するのである。しかし、イザヤは絶望と「霊的死」で終わらなかった。
3.神の使命に与る―神によりセラフィム(天使たち)はイザヤに、罪の赦しのしるしとして祭壇から取った炭火を唇に触れさせる。イザヤはそこで初めて罪が赦されたことを確信する。を与えます。神は新しくされたイザヤに「時代の中に派遣されて行く」という使命を与える。イザヤは「はい、ここにわたしがおります。私をお遣わしください」と応答する。
まとめ: 危機的な体験をし、神の臨在に触れ、神の使命に与ることによって、私たちは新しい生き方へと変えられるのである。私たちも、新しく造り変えられ、神からの使命を与えられてこの時代の中に遣わされて行きたいものである。責任(responsibility)とは応答(response)する能力(ability)のことである!
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