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2009/08/09(日)
「信じて、備えて待つ」畑中康雄勧士
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信徒礼拝 (聖書)ルカ13:6〜9 ●このたとえ話は、悔い改めなかったイスラエルに対してエルサレム滅亡を以て示された神の怒りの予告と警告がなされるていると考える事が出来ます。しかしこのみ言葉に接する私たちには、単にイスラエルの運命を語られたと言う事だけではなくて、このみ言葉に接する全ての人々に神の愛の本質を伝えていると言う事を見逃してはならないと思います。主人と園丁の会話は「神の義と神の愛の御心の動き」を巧みに描かれているのです。
●この実らぬいちじくのたとえ話によって示された神の愛こそがイエスが生涯をかけて教えられた福音、神の愛の本質そのものなのです。1年の猶予期間はいつまで延ばされたのでしょうか。「主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、1人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたの為に忍耐しておられるのです。」(Uペトロの手紙3章9節)は今なおぶどう園を訪れていちじくの木を見ておられる神のみ心を良く顕しているみ言葉です。
●さてここで大切な事は「待ってください」と言う時に、園丁が言っている大切な言葉がある事を見落としてはならないのです。 則ち、園丁は @「今年もこのままにしておいておいてください」と先ず主人に自分の願いを口に出して伝えています。そしてそれに続き、 A「木の周りを掘って、肥やしをやってみます」と単に待つだけではなくて待っていただいている間に自分が出来る精一杯の努力をすると言っています。そして B「そうしたら来年実がなるかもわかりません」と願いが叶う事を信じています。そして、その後で C「もしそれでもだめなら、切り倒してください」と期限を切っているのです。
●私たちが待つ時に @「願いを口にして神様に祈っているでしょうか」 A「必ず成ると信じて待っているでしょうか」 B「待っている間、願いが叶うように最大限の努力をしているでしょうか」 C「そして、その期限が来たときには神様のみ旨のままになさってください」と全てを神様にお委ねしているでしょうか
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