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2009/09/13(日) 「神はわたしの避けどころ」大嶋博道牧師
高齢者祝福礼拝 (聖書)詩編46:1〜12

聖書の中で、特に詩編には「避けどころ」「砦」「岩」という言葉がよく使われる。(62:2、3、8など。特にサムエル記下 22:2、3には、サウルの手から神がダビデを救い出されたことに対して、ダビデが歌った感謝の歌に、「主はわたしの岩、砦、逃れ場、わたしの神、大岩、避けどころ、わたしの盾、救いの角、砦の塔。」と連記される)
この「避けどころ」という単語はヘブル語で「マハセー」で、避けどころ、避難所、隠れ家、要塞、安全地帯と訳すことが出来る。この詩編46篇は、様々な試練や困難に直面した詩人が神に信頼し、すべてを委ねた結果、体験したことを歌ったものである。

1.「神はわたしの避けどころ」とする信仰とはどういったものだろうか。
@神を第一とする信仰
 この方以外に救いはない。 神第一とすることに関して、故 畑野忍牧師は、生涯の中で、「常に神と向き合って生きる」生き 方であると語った。ディボーション、礼拝、祈りを通して、職 場、家庭、社会にあって、常に神と正面から向き合い、豊かな 深い交わりを持つのである。
A臨在信仰に生きる
 聖書の神は「共におられる神」である。神はその存在をいかなる時にも明らかに示して下さる。(イザヤ41:10)
畑野忍先生は「神が共におられる(インマヌエル)臨在信仰と は、私と神との極めて正確な霊的距離を保つということ、そし て、その距離に自分を置くということである。」と述べておら れる。私たちが神から離れると神がボヤけてしまう。
はっきりと神が見える明瞭なポイントに自分を置くことが大切 である。

2.では、神を避けどころとする人生には何がもたらされるのか?
@私たちは決して恐れない。(46:3)
 まず、恐れが取り除かれるということである。詩編46:11に「力を捨てよ」とある。私たちには恐れがある。失敗しては いけないと、力を入れて生きている。神様を明瞭に見て生きる 時、私たちは恐れから解放され、力を抜いて生きることが出来 る。(イザヤ41:10,13 43:1)
Aわたしは決して動揺しない(62:3)
 私たちの心はしばしば動揺する。しかし、神を避けどころとすると、動揺がなくなり、平安が訪れ、明日への希望が与えられ るのである。(ヨハネ14:27)

 新聖歌209にある「いつくしみ深き」の作詞者Joseph Scrivenは、結婚式の前日に婚約者を海で亡くした。彼の母は、婚約者の女性を愛していたため、深く悲しむ。また、彼自身も深い悲しみを味わう中でこの詩を書いた。「イエスは慈しみ深い友」なのである。
 神様を避けどころ、砦、隠れ家、安全地帯とする信仰者は幸いである。どのような時にも慰めと平安が与えられ、強く生きることが出来るのである。


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