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2010/01/24(日) 「この岩の上に教会を建てる」大嶋博道牧師
フレンズ・サンデー礼拝 (聖書)マタイ16:13〜20

はじめに:
今朝のメッセージのテーマは「私たちの教会はどこに立つのか」ということである。「どこに」とは、どの信仰に、何を土台としての意味である。クリスチャンにとっては極めて大切な関心事である。いったい、私たちはどこに寄って立っているのだろうか。
序 論:
 15、16節が今日の中心である。「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」イエス様はフィリポ・カイザリヤに行かれた。この地方はガリラヤから北に約18km上った所にあり、「カイサリヤ」の名前の通り、ローマ皇帝「カエサル」を崇拝する町であった。その町でイエス様は「人々はわたしを何者だと言っているか」と弟子たちに尋ねられた。弟子たちは「人々は洗礼者ヨハネだとか、エリヤ、エレミヤなどの預言者の一人だと言ってる」と答えた。この答えからわかるように、人々はイエスはただ者ではないと感じていたようだ。

 イエス様は、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問われた。聖書の中では他に、創世記3:9に神の前から隠れたアダムに神は「あなたはどこにいるのか」と問われ、創世記4:9に弟アベルを殺したカインに神は、「あなたの弟はどこにいるのか」と問われた。聖書は、私たちに度々問いかけている。クリスチャンは「あなたはわたしを何者だと言うのか」というイエス様の問いかけに常に立たされているのである。

本 論: 
 ペトロは弟子を代表してこの問いに答え、「あなたはメシヤ、生ける神の子です」と告白した。これは、「あなたはわたしの救い主」という告白である。クリスチャンであるという事は、私たちの全存在をかけて、イエスは主であると公に言い表すこと(告白すること)である。イエス様はペトロに、
@「あなたは幸いだ。」と言われた。幸いとは〔マカリオス=祝福〕の意味である。
A「この岩の上に教会を建てる。」と言われた。イエス様はシモン・バルナバにペトロ(岩の意味)というあだ名を付けられていた。教会は砂の上ではなく、しっかりとした岩(ペトロ)の上に立つのであり、ペトロが告白したその信仰の上に立つのである。
教会とは何だろうか。ルターやカルヴァンら宗教改革者は、
1.神の言葉である説教が正しく語られ、正しく聴かれる場、
2.正しく聖餐の養いが行わ
れている場、それに加え、
3.信仰の証、すなわち主にある愛の交わりがある場。これが教
会の姿である。
 18節「陰府の力もこれに対抗できない」、これは、私たちが主を告白するとき、この社会にはびこる、生きる力が萎えたり、命が粗末にされる死の力に支配されないということ。主イエスは、こういった力に屈しないという宣言をされた。

 19節は、様々に議論される。カトリックはペトロが鍵を持っているとしているが、そうではなく、このペトロの信仰が鍵を持っているのではないだろうか。つまり、主を告白する一人一人
に主は天国を保証してくださる。そう信じるのである。「あなたはわたしを何者だと言うのか」
私たちは常に問われている。これに答える中に私たちの人生の祝福があり、死が支配している社会の中で屈することなく力強く歩むことが出来るのである。(祈祝福)


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