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2010/01/03(日) 「主のまなざしが注がれて」大嶋博道牧師
新年礼拝 (聖書)申命記11:8〜12

はじめに:
 改めて新しい年を心からお祝い申し上げます。「おめでとうございます」皆様の上に、今年も神様の祝福が豊かにありますようにお祈り致します。
序 論:
 新しい年の初めには申命記11:12のみことばがよく開かれる。それは一年の歩みを始める私たちにとって最も希望に満たされる聖書の約束だからである。今年1年も主は温かいまなざしを注いでくださっている。これを信仰によって感じとろう。
これが今日の結論である。
 11:8のわたしが今日命じる戒めとは、10:12に言及されている。つまり、全力を注いで主である神を愛し仕えること。その結果、11:8の続き、勇ましくなり、約束の地に入ることができる。その地は、「乳と蜜が流れる土地」であるり、乳とは牛や山羊などの乳であり、蜜とは草花から得られるものである。
つまり、イスラエルの民が入る土地は神のご配慮の中ですばらしく潤ったところなのである。
 約束の地に対して、エジプトの土地が比較される。エジプトにはナイル川があり、その川から水路をひき、種に水をやり、草木は生い茂る。しかし、これは人の手によるもの、人間的手段である。約束の地はそうではない。川はなく、山や谷がある荒れ地である。
そこはただ天からの雨によってのみ潤う。つまり聖書が語っているのは、人の手で努力しても何も得れない土地であるが、「神の目」がそこに常に注がれており、乳と蜜が流れる土地である。
本 論:
 目を注ぐとは、思いを寄せること。関心を持ち、全存在を傾けて関わることである。この主のまなざしとは一体どのようなものだろうか。
1.神は私たちの必要をよくご存知で、備えておられる―配慮のまなざし
 主は私たちのことをよく知っておられる。「知る」ということは関心を持ち、思いを寄せるということ。主は私たちの必要をご存じで、必要な時に、最善の方法で与えてくださる。
Tペトロ5:7にあるように、私たちは何もかも神にお任せして信仰によって生きたいものである。

2.私を宝の民として見ておられる―愛のまなざし
イザヤ43:4に「わたしの目にはあなたは高価で尊い」と主が言われた言葉がある。生物学者ルイス・トーマスは、「人は壊れやすい」と語る。聖書も「人は草のようである」と言及している。(Tペトロ1:23参照)しかし、主はそのような小さく、弱い存在である「わたし」を愛し、「宝の民」とされた。(申命記7:6)

3.主は私たちを見守っておられる―保護のまなざし
詩編121篇に、「主は見守る」という言葉が何度も記されている。主なる神は私たちを決してまどろむことなく、常に見守っていてくださる。
 
まとめ:
 申命記11:14には具体的な主の約束が記されていることを覚えたい。主は常に私たちに目を注いでくださっている。年の初めから終わりまで常にである。今年一年も、この主の約束に堅く立って希望を持って歩んで行きたい。


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