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2010/10/24(日)
「あなたの“この時”のために」大嶋博道牧師
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フレンズサンデー礼拝 (聖書)エステル記4:1〜17 (物語のあらすじ) 今日のメッセージのポイントは14節の「この時のためにこそ」と言うみ言葉にあります。 紀元前586年頃、南王国のユダはバビロンに侵略され、廃墟となり、主な人々は捕囚人として連行されました。が、ペルシャのキュロス王によって紀元前538年頃解放されます。しかし、バビロンに残ったユダヤ人もあり、その中にモルデカイやエステルがいました。 その頃、クセルクセス王はハマンを高い地位につけ、人々に対して彼にひざまずいて敬礼するように命じた。しかし、真の神を信じていたモルデカイだけは決してそうしなかった。 それで、ハマンはモルデカイだけでなく、ユダヤ人を皆、滅ぼそうと企てた。 モルデカイはエステルこの命令を廃止するよう王に伝えてくれと頼みました。しかしエステルはこれを躊躇したのです。この時にモルデカイが言った言葉が14節の「…この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか。」と言う言葉です。 それに対してエステルは「…私は王のもとに参ります。このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でいます。」と言います。 この物語から、「この時のためにこそ」過去のあの出来事があったということ、さらに今の様々な出来事は、将来「この時のためにあのようなことがあったのだ」と、理解出来る日がくることを学びたい。 (わたしたちの「この時」の生き方) @私たちの人生には「この時のためと言う決定的な時」があります。時には「クロノスの時」(日常的な時、繰り返される平凡な時)と「カイロスの時」(非日常の時、聖なる時、決定的な時/ヨハネによる福音書12章27節)が有ります。 Aこのカイロスの時が来た時に全精力を、全存在をかけて向き合う必要があります。私、大嶋もそのような時を経験しました。その一つが開拓伝道をし、教会が与えられた時です。 私にとっては創世記32章23〜32節にある神と向き合う時でした。(付け加えると、ブラジルに遣わされた時、会社に就職した時/仕事を辞めた時、そしてひよどり台に住むようになった時等は今から思えば今日の教会を建て上げ、伝道牧会をとおしてさらに教会形成のための「備えの時」でした。) B私たちが「その時」を受け入れたならば最善を尽くして行動に移す必要があります。エステルが死を覚悟して王の元に面会に行ったように。その時に主は祈りに応えてくださり、最善をなしてくださるのです。今に全力を尽くす時に神様は最善をもって応えてくださるのです。この事を心に留めて今の現実と向き合って生きて欲しいと思います。
あなたの“この時”のために。祝福をお祈り致します。
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