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最新の絵日記ダイジェスト
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2010/12/26(日) 「感謝と共に新しい年を」大嶋博道牧師
年末感謝礼拝 (聖書)テサロニケ第一5:12〜18

年末礼拝に当たって
 本日はこの1年間を振り返って、主の豊かな恵みに感謝しながら礼拝を守りましょう。
1年の中で自分の思い通りでなかった事があった方も聖書のみ言葉により主に感謝したいものです。天の窓は常に開かれています。

(神に喜ばれる教会生活守るために)
 神に喜ばれる教会生活についての教えは5章12〜15節にあります。
@その第1の事は「労苦している教会の指導者(伝道者)を重んじ、愛する事」
Aそして第2の事は「怠けている者(アタクトス)を戒め、弱い者を助ける事」
Bそして第3の事は「気落ちしている者(オリゴプシュコス)を励ます事」です。
信仰生活を続ける中で時には怠惰になる事、中途で役割を投げ出したくなる事もありますが、最後の最後まで信仰を守るように励まし、そして最悪の事を予想して心配している人には「万事を益」としてくださる神様に全てを委ねる生き方をするように励ます事です。
 また、「全ての人に忍耐強く接する事」をパウロは教えています。パウロはとても自己主張が強く、時には強引で攻撃的で感情的な面があったと思います。また、「キリストのためになら何でもする」という行動派の彼でしたが、テサロニケの教会の信徒に対しては「忍耐するように」と教えています。全ての人に最善をなし、全ての人に愛を以て接するようにしたいものです。

(神に喜ばれる教会の3つの特色)
この5章16〜18節は「祝福の3拍子」と言われる箇所です。

@喜びの教会となる事→教会の中に喜びが満ちあふれる事、教会に来た時に喜びを感じる教会となる事がその第1の事です。喜びの源泉は「イエス・キリストは昨日も今日も永遠に変わらない」(ヘブライ13章8節)にあります。イエス・キリストにこそ喜びの源泉があるのです。(羊飼いも学者たちも喜びに溢れた。)

A絶えず祈る事→継続的に祈る事、祈りは魂の呼吸です。呼吸をしないで生きることはできません。継続的に祈る教会になりましょう。

B感謝に満ちた教会→サタ−ンは過去の足らなかった事を不満に思うように私たちに働きかけて来ます。私たちは失ったものを数えるのではなく、今、手元にあるもの、残されたもの、今ある神の恵みに感謝できる教会になりましょう。詩編の詩人が声高らかに告白したように、「わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない」(詩103・2)私たちもこのように感謝したいものです。

(今年1年に感謝して)
 この1年は「みことばに生かされて」と言う教会標語のもとに過ごしてきました。主が私たちになされた事を一つ一つ数え上げて主に感謝し、主を褒め称えたいと思います。主なる神と皆様がたにこの一年、祈って支えて下さったことを心から感謝申し上げます。迎える新しい年もどうぞよろしくお願い致します。

2010/12/19(日) 「あなたの暗闇を照らす光」大嶋博道牧師
クリスマス礼拝 (聖書)ヨハネ1:1〜9

序 論: 
クリスマスの“キーワード”は相異なる二つの言葉から成っています。一つは「暗闇」であり、もう一つは「まことの光」であります。「暗闇」は象徴的には「死や滅び」を意味し、「光」は「いのちや救い」を意味しています。聖書は闇と光との関係をこう宣べ伝えています。

1.光は暗闇の中に輝いている。暗闇は光を理解しなかった。(ヨハネ1:5)
2.その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。(ヨハネ1:9)
3.闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。(イザヤ9:1)

私たちが住んでいる世界は、晴れることのない「暗闇」が覆っています。戦争・民族間の対立・テロ・飢餓。日本は長期景気低迷・政治の腐敗・社会や教育現場の混乱・家庭崩壊・いじめ・虐待などあとを絶ちません。人間関係の対立や嫉妬や憎しみが不信や敵意を産み出して孤独や不安や空しさを引き起こしています。
何よりも天地万物を創造された神を認めず、礼拝することなく生きる世界、愛を失った人類はまさに「暗闇」そのものであります。

本 論:
実は、このような「暗闇」が支配している世界に、イエス・キリストは救いをもたらすために来られたのです。聖書はこう述べています。
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。・・・あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 (ルカ2:11〜12)このしるしこそ「光」そのもなのです。「すべての人を照すまことの光があって、世にきた。」(ヨハネ1:9) ロシヤの文豪ドストエフスキーは、自分自身が投獄されたことのある経験からこう言っています。「たとえ、真暗闇の
中に一人ぽつんと置かれても、一条の光があれば生きることができる」と。彼が見い出した一条の光とは、まことの光であるイエス・キリストの救いの希望です。

では、暗闇を照らす光の役割とは具体的には何なのでしょうか?
(1)あなたの存在を根底から支えるエネルギーである
(2)あなたの生きる希望を支えるものである。
(3)あなたに無条件の喜びを与えるものである。
(4)あなたの人生の苦悩(心配・思い煩い・悲しみ・痛み)を背負って下さるものである
(5)あなたの足下とあなたの将来を照らす続け、天のみ国に向かって確実に導くものである。
(6)あなたに圧倒的勝利をもたらすものである(ローマ8:37)
まとめ:
 クリスマスに際して、暗闇に輝くまことの光、あなたの人生の終わりまで照らし続けるまことの光であるイエス・キリストを信じて豊かな信仰生活を続けましょう。祝福をお祈り致します。 「光は暗闇の中に輝いている」

2010/12/12(日) 「マリアの賛歌に学ぶ」大嶋博道牧師
アドベント礼拝(V)(聖書)ルカ1:46〜56 

序 論:(マリア賛歌とは)
 アドベント(待降節)の第三聖日、今朝は「マリアの賛歌(マグニフィカト)」の学びをとおして、私たちの信仰生活を見つめ直したいと思います。メッセ−ジの中心は「わたしの魂は主を崇め・・・この主のはしためにも目を留めてくださったからです。」(1:47〜48)にあります。

 マリアが賛歌を歌ったのは、天使から受胎告知を受けた後、叔母に当たるエリサベトを山里に訪ね、そこで叔母から「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方はなんと幸いでしょう。」と祝福された直後のことでした。
「マグニフィカト」とは「崇める」と訳されていますが、元々、「主である私の神を最大限に大きくします」と言う意味です。自分を小さくして、神を計り知れないほど大きくすること、これこそ「マグニフィカト」の原意なのです。それはマリアの証でもありました。

本 論:(マリアの賛歌から学ぶ事)
 このテキストから次の2つの事にスポットをあてて学びましょう。
@信仰生活において神を大きくし、自分を小さくすると言うこと。
 私たちの社会は持っているものや身に着けている肩書きなどで自分を大きく見せようとします。しかし、「信仰」とは謙虚になって自分を小さな存在とし、神を最大限大きくすることです。礼拝も、祈りも賛美も証しもすべては神を大きくすることに繋がります。

A神はいつも私たちに目を留めていてくださると言うこと。
 生まれたばかりの新生児に母親は常に目を留めます。そのように神は私たちを「エピブレポー」すなわち、受け入れ、心にかけ、顧みてくださるのです。創世記16章にサラの女奴隷ハガルの物語があります。荒野に逃げて彷徨っているハガルに神自らが現れ、最大の配慮をして下さいました。ハガルは「エル・ロイ(目を留めてくださる)」と告白したのです。この「エル・ロイ」とマリアが歌った「私に目を留めてくださる」と同じ意味なのです。神は思い煩いの生活をしている私たちに目を留めてくださり、最善に導いてくださるのです。

(まとめ)
 自らを小さくし、神を最大限大きくしましょう。神様は弱く、迷いやすい私たちに常に目を留めておられることを確信しましょう。「わたしの魂は主を崇め(マグニフィカト)」―これこそ、私たちの健全な信仰生活の姿なのです。

2010/12/09(木) 「今、だれを待ち望むべきか」大嶋博道牧師
アドベント(U)総員礼拝 (聖書)ルカ7:18〜22

(アドベントとは?)
 アドベントとは、「待つ」「期待しながら待ち望む」と言う事です。人は誰でも「待つ」と言う経験をしているのではないでしょうか。例えば健康の回復、子どもの成長、そして希望する試験の合格等々。「アドベント(Advenire)」とは「突然何かが起こる」と言う意味から派生して、イエス・キリストの誕生を待つ期間と言う事になりました。

 「待つ」ということには、5つの意味があります。
@待つと言う事によって相手に対する信頼が生まれます。
A待つと言う事によってあなたの思いがきよめられます。待つことによって神の御心が確かに示されるのです。
B待つ事によって明日への希望が膨らみます。子どもが育つのを、病気が回復するのを、試験にパスするのを、人間関係が回復するのを期待して待つのです。
C待つと言う事は信仰そのものです。そして私に取っては生活の全時間が信仰です。全時間が主のご降誕を待つ時です。
D待つと言う事によって新しい力(生きるエネルギーが蓄えられます。

(弟子たちをイエスの所へ派遣した理由とは?)
 今日のみ言葉ではヨハネは2人の弟子を獄中のキリストの元に送り、「来るべき方はどなたでしょうか?」と訊ねさせています。それに対してイエスは「あなたの見聞きしたことを伝えなさ
い」と応えています。
 ここで、ヨハネが弟子たちをイエスの元に送った理由は
@ヨハネは長く牢獄にいたのでイエスの偉大な活動を見ていなかったので確認したかった。
Aもしイエスがメシヤなら牢獄にいる自分を救ってくれると期待したから
B弟子たちにイエスがメシヤである事を学ばせたかったから
など、幾つかのことが考えられます。
おそらく、ヨハネはイエスを来たるべきお方であることを確信しつつも、自分の弟子をとおして「再確認」しておきたかったのではないかと思います。

(ここから学ぶ事)
 ここでは次の3つの事を学びます。
@徹底的に待つ事がキリスト教だと言う事です。ヨハネにはこの方を待っていても良いのかと言う疑問があったかも知れません。この事は私たちもしばしば経験することです。でも、最終的には、クリスチャンは信じて待つ事が大切です。
A「あなたは来るべき方ですか」と尋ねながら主に相対して待つ事が大切な事です。みことばを通して、祈りをとおして、日曜ごとに語られるメッセージをとおして神と正面から向き合うことです。
Bキリスト教は「出来事の宗教」と言われています。主の来臨、十字架、復活、聖霊降臨など、すべては「神の聖なる出来事」なのです。私たちはこれらの出来事に関わり、出来事に全存在をもって決断しなければなりません。

(まとめ)
 私たちは日々、「来るべきお方はあなたですね。」と問いながら、確信をもってそのお方と向き合って生きたいものです。アドベントに際して、主の豊かな祝福が注がれますようにお祈り致
します。    


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