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2010/04/11(日) 「心が燃えてVターン」大嶋博道牧師
聖日礼拝 (聖書)ルカ24:28〜35

序 論:
 私はイースターの頃にはこの聖書の箇所を良く用いています。それはこの聖書の箇所が「キリストの復活」の意味を的確に表しているからです。
聖書によると、クレオパともう一人の弟子がエマオへの悲しみの旅をしていると、目が遮られていて甦られたイエスを見ることが出来なくなった〜同行して下さっているのがイエスだと気づかなかったが、夕方になって目が開かれて、同行者がイエスだと気づいたとあります。そして2人は言います。「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心が燃えていたではないか」と。

本 論:
 今日は「何が彼らの心を燃やしたのか」と言うことと「心が燃えたらどうなるか」と言うことについて学びます。
エマオへの途上では、彼らは目が遮られ、暗い顔をしており、失意の状態でした。
このような状態から、心が燃える思いに変えられたのは、復活のイエスが「一緒にいてくださる」(15節、29節、30節)ゆえでした。二人の弟子たちが「臨在信仰」に生かされた瞬間でした。
「主が共にいます(インマヌエル)」という信仰です。二人の心が燃えたのは、まさに甦りのイエスと共に歩む時だったのです。(25〜27節・35節)

「心が燃える」とは「命に火がつき」「心の元気が回復した」状態を言います。
悲しみが喜びへ、失望が希望へ、不安が平安へと変えられることです。私たちの人生は心の燃える人生であって欲しいと願います。
 
 では心が燃えるとどうなるのか、

(1)それは復活の命をいただいて心に希望が湧きます。明日への期待が出ます。「希望」とは明日への期待であり、明日を生きる力そのものです。人生の本当の希望は復活のイエス・キリストからのみいただくことができるのです。

(2)そして更には「生きる使命」が与えられます。
心が燃えると、人生の意味や目的、自分の役割というものが明らかにされるのです。

 生きる使命が与えられた2人は「もう一度エルサレムに向かって」「イエス・キリストを証する生活」へと歩み始めました。これこそ勝利のVターンです。 
私たちも礼拝での説教と主を記念しての聖餐(パンとぶどう汁)をとおして、また日々のデボーションによるみ言葉と祈りによって心が燃やされて希望の明日に向かって勝利のVターンをしたいと思います。
 悲しみと失意のエマオでなく、喜びと希望のエリサレムへの勝利のVターンです!
皆様の祝福を心からお祈り致します。


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