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2010/04/04(日)
「歴史的神の啓示」滝谷良一牧師
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イースター記念礼拝 (聖書)エゼキエル37:1〜14,マタイ28:1〜16 はじめに: イースター記念礼拝にお招きを受け、メッセージをお伝え出来ることを大変嬉しく感じています。
序 文: 私は若い頃、旧約聖書、特に歴史書をよく読みました。しかし、エゼキエル書を深く研究するまでは、歴史書がなぜ「神の言葉」なのかを理解出来なかったのです。 私は、エゼキエル書を博士論文に選びましたが、その理由はエゼキエル書があまり研究されてなかったこととエゼキエル書37:4の「これらの骨に向かって預言しなさい」という言葉で牧師としての召しを受けたからです。実は、エゼキエル書は、神の言葉の本当の意味を教えてくれる書物なのです。
本 文: (1)エゼキエル書の特徴―それは「知る」という言葉で、86回出て来ます。特に「そして、お前たちは(彼らは)わたしが主(ヤハウエ)であることを知るようになる」という表現が54回も出て来ます。
(2)神を知る方法―祈りや瞑想や教師の教えを聞くことがありますが、何よりも、聖書的方法として歴史の中でご自分を啓示される神に出会うことであります。特に「わたしが墓を開いて、お前たちを墓から引き上げる」とあるように、神が歴史の中でなされる業をとおしてであります。
(3)神の独り子の受肉をとおして―「言葉は肉体となって、わたしたちの間に宿られた。・・・」(ヨハネ1:14)とあるように、神の贖いと救いのみ業は、人類の歴史の真っ直中でなされなければならなかったのです。
(4)罪と肉体の関係―「罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り・・・」(ローマ8:1〜8)罪とは単に魂の問題だけでなく、人間全人格(肉体と魂と霊)ですから、キリストの贖いは魂の正常化と体の甦りを含んでいるのです。
(5)イエスの復活の歴史性と神の啓示―イエスの復活がなければ、人間の贖いと救いは完全ではなかったのです。イエスの十字架上の死と復活が歴史上でなされたことにより、初めて救いの良き音信が私たちに届き、神がどのような愛と恵みと憐れみに満ちたお方であるかが証明されたのです。これより確かな事実はありません。ハレルヤ!!
まとめ: キリスト教は歴史的事実としてのイエスの十字架の死と復活に拠って立っています。 私たちの信仰もここに根拠があるのです。私たちも復活されたイエス・キリストの栄光の力に与りたいと思います。そのためにも歴史の主である神に信仰によって出会い、深く知りたいものです。 「あなたがたはわたしが主であることを知ろう」(エゼキエル37:13)
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