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2010/05/02(日) 「信仰〜日常生活の中で」大嶋博道
総員礼拝 ヘブライ11:1〜3 

はじめに:
 この朝は、私たちの「信仰と日常生活」との関係について触れてみたいと思います。
私たちの信仰が日常生活(家庭・職場での仕事)の中にどのように関わっているのかと
いうことです。3つのことをお伝えします。
一つは、基本的なことですが、「信仰とは何か」ということです。
二つめは、「信仰によって生きるとはどういうことなのか」ということです。
そして三つ目は、「日常生活の中で信仰によって生きるとはどういうことなのか」ということです。
本 論:

その一:信仰とは何か?
「信仰」とは、「信じて仰ぐ」と書くように、 手で触れたり、目で見ることの出来ないような偉大な存在(対象)と人格的な関わりを持つこと、まさに信じて仰ぐことであります。
「私は絶えず主に相対しています」(詩篇16:8)
ラテン語に「Coram Deo(コーラム・デオ)」という言葉があります。これは「神のみ前に」ということで、人の生活の全体は常に神のみ前にある、という意味です。
「神がそこに臨在され、人はその神のみ前に生きる」それが信仰だというのです。
 さて、ヘブライ11:1には、その「信仰の定義」が具体的に記されています。「信仰とは、希望するものの保証であり、見えないものの証拠である」「希望」は未来に関することであり、その未来にある希望を確かなものとするのが信仰だというのです。また、「見えないもの(例えば、愛とか喜び、平安とか信頼など)」が、ここに存在するという証拠が信仰だというのです。

 二つめに、では「信仰によって生きる」とはどういうことなのか?
ヘブライ11:3〜38までに19回も「信仰によって(ピステイ)という言葉が繰り返し使われています。頻度の多い言葉です。
信仰によって生きるとは、
@日々、聖書のみ言葉を受け入れて生きる。(み言葉に従って生きる)
A日々、主なる神を呼び求めながら生きる。(赤ちゃんが母を慕い、呼び求めるように)
B日々、主なる神を告白しながら生きる。(ローマ10:9)
C神のみ心を求めながら(神の聖なるご計画を優先しながら)生きる。
 私たちが信仰によって生きるとは、人生の土台を神に置くということ、言い換えれば、
人生のハンドルを神に握っていただいて生きるということでありましょう。

三つ目、「日常生活の中で信仰によって生きるとはどういうことなのか」
ヘブライ11:3〜38には、日常生活の中で信仰によって生きることの具体的な姿が記されています。信仰の父と言われたアブラハムやイサクやヤコブの生き方がその典型的な事例であります。
彼らがいかに「日々の暮らしの中で信仰に生きたか」つまり、「彼の日常生活の中で、いかに信仰が大きな影響を与えたかを見ていきたいと思います。
 日常生活というのは、日々、繰り返される生活ですね。いろいろな出来事や習慣、家庭生活、職場生活、子育て、家族の団らん、会話、交わりなどを指しています。
アブラハムが日常生活の中で信仰によって生きた幾つかの具体例を見ましょう。
(1)信仰によって、「行き先を知らないで」神が示す地に移住した。(引っ越し)
(2)信仰によって、家族を形成し、家族と共に生き抜いた。
(3)信仰によって、試練を受け、それを乗り越える(克服)することが出来た。
(4)信仰によって、自らの最期(死)を神に委ねることが出来る。私たちは信仰によって生も死も神に委ねて平安に生きることが出来るのです。

まとめ:
 ミレーの「晩鐘」の絵には、信仰と仕事と家庭が一つに結ばれている、信仰が、日々の暮らしからかけ離れたものではなく、無関係のものではなく、まさに信仰の中に暮らしがあり、暮らしの中に信仰が働いていることが表されています。私たちももうありたいと願います。
祝福をお祈り致します。


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