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2010/07/11(日) 「生きる意味とは」畑中康雄勧士
信徒礼拝 (旧約聖書)コヘレト21:1

●私の小学生の時の生きがいは「父のような立派な大工」となる事であり、中学生頃からは「公務員」となって国民に奉仕する事でした。公務員に就職してから退職するまでには一貫して「この世の中に生かされて、用いられて仕事を通して社会に貢献している事」が何と言っても生きがいでした。しかし、全ての公職から離れた今は社会的には期待される事も無く、今までの様に世のために働く事に生きがいを感じる事とは縁のない毎日なのだと感じる事があります。

●コヘレトの言葉の主題は「無意味。全ては無意味」と言うところにあり、そして「全ては空」と言うところにあります。そのコヘレトは「あなたの手のなすべきことを力を尽くしてなせ。そして何よりも神を恐れ、あなたの目を最後の審判の日に向けよ」と言っています。 

●天地創造の物語では自然界のすべてのものを造られた時に神様は「良しされ」たのですが、人をお造りになられた時には「祝福され」ました。私たちは「良しとされたのではなくて祝福されてこの世に生まれて来たのです。何かをなすためにこの世に送られてきたのではなくて、私たちの存在は「存在そのものが祝福された存在」なのです。
人は何のために生きるのか?ではありません。神が「お造りになり」そして「その存在を祝福された」から人は生まれ、存在し、生きているのです。自分で生きている価値を探し求め、そこに生きる意義を見出した時には生き、価値を見出せなくなったからと言って死んでいく存在ではないのです。単に「生きる事」その事にしか無く、その事にのみ「生かされて生きている」と言う生きる意義があります。

 ですから人の目に存在価値がなくなったように見えてもその人には存在価値があり、人の存在は貴いのです。人は将来を悲観して「死ぬ事(自殺する事)」もその人の存在価値を認めずに「人を殺す事(殺人を犯す事)」も許されず、どのような状況の中にある時にも人は人間として尊厳を持って生かされ、扱われ、生きていく事が求められているのです。人の生きる意義はコヘレトの言葉12章13節の「すべてに耳を傾けて得た結論。神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべて」ではないでしょうか。


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