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2010/08/29(日)
「主なる神はわが力だから」大嶋博道牧師
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聖日礼拝 (聖書)ハバクク書3:17〜19 序 論: 「ハバクク」というのは預言者の名前です。その意味は「抱く、からみつく」ということで、預言者ハバククの性格をよく表しています。エレミヤと同時代の預言者と言われる。このハバクク書は南王国ユダがカルデア(バビロン)によって滅亡しようとするBC605年頃の出来事を記しており、3つの部分から成っています。 @1:2〜4 国が乱れ、暴虐と不法が行われているのに、神はなぜこれを裁かないで、見過ごしておられるのか?「ある注解者はこの祈りを「ハバククの絶望的なすすり泣き」と述べています。 A1:5〜12 それに対して、主の答えは、カルデヤ人(バビロン人)を用いて、厳しく審くと言われたのです。 神の民を罰するのに、よりによってカルデヤ人(暴虐の民)を用いられるとは、と言う新しい疑問に包まれるハバククです。 B2:1〜5 しかし、神の審きの厳粛さの中で、神に信頼を置く者には赦しが与えられ、そして「神に従う人は信仰によって生きる」ことをハバククは確信したのです。
本 論: 今朝は3:1〜19のハバククの祈りから、特に、18〜19からハバククの信仰をとおして、私たちの信仰生活、生き方を共に学びたいと思います。 (1)いちじくやぶどうやオリーブの木と畑は収穫を見ないで、失敗に終わっているけれども、羊や牛などの家畜の群れは増殖せず、何も残っていないけれども、・・・・ これは人生の中で生じた大試練であり、いのちを脅かす危機的状況です。私たちの人生にも時には根底を揺るがす困難や試練が襲ってくることがあります。大きな病気や事故や災害、仕事の行き詰まりや失敗、人間関係のヒビ、断絶など。しばしば岐路にたたされ、いのちの危機を感じます。 (2)このような大きな試練の中で、主にあって喜びわが救いの神のゆえに踊る。 これは預言者ハバククのものすごく強い信仰の告白です。主にあって喜ぶ→健全な信仰の姿。救いの神のゆえに踊る→これも健全な信仰の姿。
(3)なぜなら、わたしの主なる神は、わが力だから。 喜ぶ根拠、踊る根拠がここにあるというのです。詩編の詩人が力強く告白しているのと共通して います。(詩編62:2〜3,6〜7及び8) まとめ: ハバククの信仰は新約聖書のパウロが受け継いでいる。 フィリピ4:4〜7 (1)主にあって喜びなさい (2)どんなことでも、思い煩うのはやめなさい (3)感謝と祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい (4)神は最善をなしてくださる。 最後にローマ5:3〜5を読んで終わりましょう。
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