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2010/08/09(月) 「問いかけたもう神〜生きるとは」 大嶋博道牧師
総員礼拝・聖餐式 (聖書)創世記3:8〜9、4:8〜9
序 論:
 ある神学者は「人類の歴史は神からの問いかけの歴史」であると言っています。
今日の聖書によると、人間アダムが罪を犯した時に神は「あなたはどこにいるのか」と問いかけられました。また、カインが弟アベルを襲ってそのいのちを奪った時に、神は「あなたの弟アベルはどこにいるのか」と問いかけられました。これらの問いかけは
私たちの人生に対する本質的な意味を持つ問いかけです。
 
 アブラハム・ヘッシェルというユダヤ人神学者は「人間を探し求める神」という著書の中で「神が人間を追いかけている。これこそ聖書的信仰の神秘である。聖書に書かれている限りにおける人間の歴史全体は、神が人間を探し求めておられるということに要約出来る。神への信仰は、神の問いかけに対する人間の応答なのである。」と述べています。
 イエスの譬え話の「失われた一匹の羊の物語」(ルカ15:1〜7)にも、神がどれほど人間を探し求めておられるか、そして、発見されたらどれほど大きな喜びかということが記されています。実に、聖書の神は人間を探し求め、呼び求めておられる
のです。そのことを私たちは気づかなければなりません。

本 論:
 「あなたはどこにいるのか」は、神が人間の隠れた場所が分からなくて尋ねている問いではなく、これは私たちの人生に対する本質的で決定的な問いかけなのです。
「あなたはどこにいるのか」と言う問いかけには次のような意味があります。
 
 @あなたは何者なのか?(人間存在の本質を問うもの)
 Aあなたは何をしたのか?(あなたの過去への問いかけ)
 Bあなたは今何をしているのか?(あなたの現在への問いかけ)
 Cあなたは罪を持ったままこれからどう生きようとしているのか?(あなたの未来への問いかけ)
 
 神は人を神の姿に似せて造られました。それはその人の生き様をとおして、神の栄光(神の重々しい臨在)があらわれるためなのです。しかしアダムはその役割からほど遠い「罪」を神に対して犯したのです。そのアダムに対して神は決定的な問いかけをされます。「あなたはどこにいるのか?」と。私たちはこの問いに答えなければなりません。信仰とは神の問いに対して真剣に応答する事なのです。今週もこの神の問いかけに真剣に応答する1週間でありたいと思います。

まとめ:
 「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は・・・」(ヘブライ11:6)にあるように、神の問いかけの信仰をもって応答したいものです。
私たちは、聖書をとおして、世の中の様々な出来事をとおして、自然界をとおして、そして、それぞれの個人的な体験をとおして、神の問いかけをしっかり聴き取り、信仰によって真実に応答したいものです


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