|
2010/09/12(日)
)「再び、みことばに生かされて」大嶋博道
|
|
|
総員礼拝・聖餐式 (聖書)ローマ12:9〜21 序論: 私たちクリスチャンにとって「みことばに生かされる」と言う事は信仰生活の柱であり、基軸です。ジョン・ウエスレ−は「みことばを食べなさい」「良くかみ砕いて味わいなさい」「それを心の中におさめなさい」と言っています。彼はバイブル党でした。ジョン・ウエスレ−の日々の生活で拠って立つ根拠はただ「聖書」でした。
さて、私たちが「みことばに生かされる」とは、どういうことでしょうか?
@みことばに養われる、育まれると言う事です。 Aみことばに自らの生き方を示されると言う事です。 Bみことばに励まされ、勇気づけられると言う事です。みことばが私たちの決定的な節目を健全に導き、支えると言う事です。
本論:
今日の聖書のみ言葉はクリスチャンとしての生き方、生活の営みについて教えています。それはみ言葉を通して次の7つの生き方について教えています。
@「みことばに生かされた歩み〜謙虚な生き方」(12章10節) A「怠けないで霊に燃えて仕える生き方」(12章11節) B「継続的に祈る生き方」(12章12節) C「聖なる者・旅人を助け、隣人をもてなす生き方」(12章13節) D「自分のためにならない者(迫害者)のためにさえ、祝福の祈りをなす生き方」(12章14節) E「共感的な生き方〜人の幸せを共に喜び、悲しみを共に悲しむ事の出来る生き方」(12章15節) F「全ての人と人間関係を円滑に保つ生き方」(12章18節) 祈って、みことばに生かされていながら、自分の願いとは異なる生き方が示される事があります。そんな時にも私たちがみことばに生かされて生きると言う事はどういう事なのかと言う事を今一度考えてみる必要があります。
まとめ:
全ては神様のご計画の中にある、と感謝して受け止める事が出来るように日ごろからみことばに学び、そしてみことばに生かされて、みことばに支えられて生きていきたいものと思います。 皆様の上に主のお恵みが豊かにありますようにお祈りします。
|
|
|