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2010/09/05(日)
「溢れる賛美の人生」大嶋博道牧師
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賛美礼拝 (聖書)詩編98:1〜6 序 論: ハーレル・ヤーハ (主をほめたたえよ)、このような賛美は「乗り物のようなもの」とある牧師が語った。賛美することをとおして神様の側に近づくことが出来る。私達が神様を賛美しようとするとき、それは音楽という「媒体」を用いて自分自身を神様の前に置こうとしているのである。 出エジプトの指導者モーセは紅海の奇跡のあと、神の御名をほめたたえて、声高らかに「勝利の歌」 」を歌った。(出エジプト15:1〜) 本 論: 主を賛美するということはどのような意味があるのだろうか?
1)人間が神に創造された目的そのものである 「主を賛美するために民は創造された。」(詩編102:19参照)人間はなぜ神のかたちに似せて創造されたのか?それは、私たちがその生き方をとおして、神様の栄光を顕すため。だから、神様の愛のすばらしさを知った人であるなら、誰でも神様をほめたたえることができるのである。
2)主を心から喜ぶこと (ネヘミヤ8:10、イザヤ61:10) ネヘミヤ8:10「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」イザヤ61:10「わたしは主によって喜び楽しみ、わたしの魂はわたしの神にあって喜び躍る。」ヤコブ5:13「喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。」私たちは罪が赦されたこと、生ける神との日ごとの交わり、恵みに感謝し、喜びの歌を主に捧げるべきである。
3)神様への心からの感謝そのもの 賛美は、神の計り知れない大きな愛を知った者が、心を尽くしてその愛に応えたいという心の現われ。だから、賛美の基本は「感謝」である。詩編106:1「ハレルヤ。恵み深い主に感謝せよ、慈しみはとこしえに」
(4)主を証しするもの(伝道の働き) さんびは神様を身近にお招きするものあるが、人々を信仰に導く事ができる。賛美をとおして、主を証しし、福音を宣べ伝えている人が多くおられる。使徒16:31〜「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ讃美の歌を歌っていると、ほかの囚人達も聞き入っていた。」
まとめ: 神様を賛美するということは、その人自身が何かしらのすばらしい出来事に遭遇して、それが神様の力 によってなされたことであることを認め、それを喜びつつ、その御業の源である神様をほめたたえるというのが賛美である。 第一テサロニケ5章16節〜18節を開いて祈りましょう。
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