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2011/01/16(日)
「信仰の継承」畑中康雄勧士
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信徒礼拝(聖書)マタイ1:1〜17 (系図の意味) マタイによる福音書が「系図」から書き始められていると言う事から次の2つの事を学ぶ事が出来ます。
@その第1はイエスが「旧約聖書で預言されている救い主である事」を説明する事です。ヤダヤ人には系図は大切でした。イエスが「救い主である事」と「ユダヤ人である事」と「ダビデの子孫である事」を明らかにするために「このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」と書かれています。
A次に第2の事はこの系図の中には「タマル」「ラハブ」「ルツ」「ウリヤの妻(バト・シェバ)」と言う4人の女性が含まれていると言う事です。ユダヤ人の系図には女性は記録されないのが普通でした。そしてなお驚くべき事にこの4人の女性は当時は好ましいとは思われていなかった女性です。即ちルツは「異邦人」、タマルは「近親相姦」の罪を犯し、ラハブは「遊女」でした。そしてウリヤの妻は「ダビデの姦淫の相手」でした。イエスの系図の中に女性が、そして異邦人とか罪ある身である人物が入っている事はこの福音が全人類への福音・良きおとずれである事を示めしています。 私の父は「私たち夫婦が教会に行っている」と言う事で、母は「家族揃って教会に行き、共に聖餐に与りたい」と言う事から洗礼を受けました。私は友達と共に訪れた教会で「ザアカイ物語を聞いて」そして妻は「もし天国があるのならそちらに賭けてみよう」と思って、私の子どもたちは小さい時から教会学校に行っていたのでごく自然に洗礼を受けました。このようにごく自然に信仰の継承がなされているのが我が家です。
(信仰の継承の勧め) 使徒言行録にはパウロがどの様にして主の召命を受けて回心したかが書かれています。洗礼を受けるのにこの様な劇的な経験をされた方もあると思うのですが、私たち一家のように特別な動機もないままに洗礼を受け、淡々とした信仰生活を送っている者もあります。そしてイエスはその方々お1人お1人のために生まれてくださり、十字架に架かってくださったのです。 既に洗礼を受けられた方、そして洗礼に導かれたいと祈られている方にこの事を知って頂き「私たちの命が先祖から延々と受け継がれて来た」ように「クリスチャンとしての信仰の継承」が着実になされていくようにとお祈りします。
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