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2011/11/13(日)
「さあ、幼子を神の下に」大嶋博道
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大人・子ども合同礼拝 ルカ18:15〜17 序 論 今日は7歳以下の子どもの祝福を祈りつつ、「大人子ども合同礼拝」を守ります。 先ず前提となる事について、今日のテキストから次の5つの事を確認しておきます。 @イエスの公生涯の活動の殆どは大人を対象としておられました。 Aイエスに触れて頂くために人々は乳飲み子を連れてきました。 B弟子たちはこれを見て叱り(とがめ)ました。 Cしかしイエスは「子ども」たちをわたしのところに来させなさい」と言われました。 Dそしてイエスは「神の国はこのような者たちのものである。子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」とはっきりと言われました。
イエスの時代も現代も大人社会は常に「誰が1番なのか」「誰が偉いのか」に関心があり、比較・競争を好みます。そのように1番になりたいと思う傲慢な大人に対して、イエスは乳飲み子、幼子(おそらく0歳〜4歳頃まで)を近くに呼び寄せて、指さして「神の国はこのような者たちのものである」と言われたのです。大人の男子しか数に数えられなかった時代にあってこの事は大変意義深いことでした。
本 論: イエスが「神の国」に例えられた「乳飲み子や幼子」の特徴を考えて見ましょう。 彼らには@無条件で信頼する心Aきわめて素直な心B委ねきった心C何も疑わないで依存する心があります。 バルバロという聖書学者は「幼子や乳飲み子は悪を知らず、富を望まず、傲慢な心も憎悪の心も持たず、人から言われることをすべて正しいこととして素直に受け入れる」と述べています。 私たちも神を信じ、委ねて、依存すれば神の国に入る事が出来ることを心に留めたいものです。 大切なことを一つだけお伝えします。それは「視点を変える」生き方をすることです。 あなたは今、どのような視点で生きていますか。高い視点で生きてはいませんか。 謙遜の視点を持って欲しいと思います。目線を下げて、目線を低くしてそして幼子のように謙って歩んで頂きたいと思います。
幼子は二つの点で大人にまさっています。一つは謙虚さ、無力さです。もう一つは自分を愛し、面倒を見てくれる親への信頼度です。この二つは幼子だからこそ持ち合わせている「特権」です。 私たちも乳飲み子や幼子のように、一途に信頼をもって主に従いたいと思います。 そこにこそ「神の国」が存在するのです。
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