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2011/12/18(日)
「その名に表されたまことの光」大嶋博道牧師
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アドベント(W)礼拝 マタイ1:18〜25 (序論) イエス・キリストにおいて神が人間社会にインマヌエルされた日がクリスマスです。インマヌエルとは「インマー(共に)」「ヌー(我ら)」「エル(神)」の合成語で、その意味は「神は我らと共におられる」です。これは聖書全体を通して流れている大切な思想です。(参考聖句・イザヤ7章14節/8章10節/9章5〜6節)
(本論) この事から今日は次の2つの事を学びます。 (1)インマヌエルの神はどこにおられるのか、と言う事がその第1の事です。 @インマヌエルの神は私たちが新しい事を始めるところにおられます。(イザヤ48章16節) Aインマヌエルの神は私たちの試練の真っ直中におられます。神は私たちが苦しんでいるその中に共にいてくださいます。(イザヤ43章2節)苦しみの祈りの中にあって神のみ声を聴くことが出来るのです。 Bインマヌエルの神は、旅の途上において共におられます。 ヤコブは荒れ野で、夜野宿している時に夢の中で神が共におられ、元のところへ連れ帰るという約束を聴きました。 Cインマヌエルの神は死の間際まで共にいてくださいます。(マタイ28章20節)ですから私たちは生と死を支配される神に全てをお委ねする事が出来るのです。
(2)インマヌエルは私たちに何をもたらすのでしょうか。 それは「神がおられる」と言う @「臨在信仰」を生み出します。神がおられる事を感じ取る事により A心の平安が保たれます。そして危機の中にあって安心、平安をもたらします。 B忍耐と待ち望む信仰をもたらします。 B人生の圧倒的な勝利をもたらします。
(まとめ) 主が共におられると言う事は物事が何でも良いように運ぶ事を意味しません。時として苦しみが私たちを覆う事があります。しかし、主が共におられると言う信仰はどんな状況にあっても私たちを生かし、勇気を与えて、その苦しみや試練を乗り越えていく力を与えてくれます。 クリスマスに際し、改めて「インマヌエル」の大切さを覚えましょう。祝福をお祈り致します。 栄光在主
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