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2011/12/04(日) 「神の冒険が光となって」(牧師)大嶋博道
アドベント礼拝(V)ヨハネ第一4:7〜12

(はじめに)
今日のみ言葉の中心は14章10節「わたしたちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して、私たちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」です。
私たちは今、アドベントを迎えています。アドベントには「何かが起こる」「突如として何かがやって来る」と言う意味があります。「来る」と言う意味があります。そこから「アドベンチャ−」(冒険)と言う言葉が出てきました。
「冒険」とは、何が起こるかわからないリスク(危険・損失・犠牲)を承知で、にもかかわらず、前に進む(実行する)ことです。
 クリスマスとは神が冒険をされた「日」です。神は犠牲を覚悟で、独り子イエス・キリストをこの世(人間世界)に遣わされた「日」なのです。それは神が私たちに「救い」という最高のプレゼントをしてくださった「日」でもあります。

(本論)
 では、神は具体的にどのようにして「冒険」されたのでしょうか?
@わずか15才ほどの少女に過ぎない、しかもまだ婚約中のマリアが聖霊によって身ごもり、救い主の母となることを引き受けたことが第一の冒険です。
A第2の事はマリアの婚約者ヨセフがこの事を受け入れたと言う事です。マリヤが救い主キリストを胎内に宿したと言う事をヨセフが全面的に受け入れたのは「神は我らと共にいる(インマヌエル)」と言う信仰でした。
Bヨハネ3章16節にある「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が1人も滅びないで、永遠の命を得るためである」とのみ言葉の中に、神の冒険が決定的に表されています。神は私たちを愛するあまり、独り子を罪深いこの世にお与えになった、ここに神の冒険があるのです。これが第三のことです。

(まとめ)
 日本や世界には「大震災」「戦争」「餓死」など悲しい、惨たらしい事が沢山あり、この世界はまさに傷ついています。そして人間は神に背き、わがままで、自己中心的でしばしば罪を犯します。
神はそんな人間に目を注ぎ、一方的に愛されました。愛されるに価しないこの人間世界を愛して下さったのです。
 この神の冒険に私たちはどう向き合ったら良いのでしょうか。
それは創世記12章1〜4節にあるように「わたしが示す地に行きなさい」と神様がアブラハムにお命じになった時にアブラハムが信仰をもってハランを出発したように、私たちも「信仰の冒険」をする事です。信仰には様々な冒険が伴います。信仰をもってそれを引き受け、勇気をもって前進することです。必ず神様は祝福してくださいます。あなたを祝福の基として下さるのです。


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