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2011/02/13(日) 「希望―深い淵の底から」大嶋博道牧師
聖日礼拝 (聖書)詩編130:1〜8

(初めに)
 今日のテキスト詩編130編は、6・32・38・51・102・143編」と共に「7つの悔い改めの詩編」の一つと言われています。
1節の「深い淵の底」とはいわゆる「どん底・八方ふさがり・四面楚歌…」のような状態を指すと考えられます。あるいは詩人の罪が解決されていない心の不安や恐れの気持ちを指すとも思われます。詩人はまさに人生の深淵を味わっています。希望が失せ、虚しさだけが彼の心を支配していたのかも知れません。
 
 しかし、この詩人は、深淵の中から「わたしは主に望みを置き、御言葉を待ち望みます」と、主に呼ばわり、祈っています。
(本論)
この詩編から二つのことを学びたいと思います。
(1)キリスト者―主に呼ばわれる者
 私たちキリスト者は「主に呼ばわれる存在」です。新生児が母を求めて泣き叫ぶ姿と似ています。母は赤ん坊の求めを聞き逃さず、その求めを心に留めます。そのように神は私たちの叫びを待っておられ、そしてその求めに応じてくださいます。私たちキリスト者は祈り求める存在であり、主から愛され、赦され、生かされている存在なのです。深い淵から神を呼び求める時に人はその淵から抜け出す事が出来ます

(2)キリスト者―主によって望みを抱く者
 5〜8節にあるように主によって望みを抱く者がクリスチャンです。夜通しエルサレムを守る「見張り」が朝が来るのを待ち望むにも増して主に望みを託して待ち望む存在です。
「主に望みをおく」とは
@主に期待するA主に信頼をおくB主がなさる最善に期待するC主を楽しむD主のみ心に自らを合わせる、事を言います。

(結論)
 では、主を待ち望むとどうなるのか?その答えは、
@Tコリント10章13節の「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」のみ言葉と、
Aフィリピ4章6〜7節の「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」
にあります。
 ジョージ・フレデリック・ワッツは、目が見えない一人の少女が地球の上に座って、一本の弦しかない竪琴を弾いている絵を描きました。「希望」と題する絵です。
私たちが一本の弦にすがるように神に泣き叫び、祈り求める時に、神は答えて下さり、最善をなして下さるのです。そこに真の希望が存在しているのです。神に呼ばわりましょう。
神に望みを置きましょう。祝福をお祈り致します。


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