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2011/02/06(日)
「その愛に招かれて」大嶋博道牧師
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総員礼拝・聖餐式 (聖書)申命記7:6〜11 (序論) キリスト教は招き(選び)の宗教 です。神はイスラエルの民を特別な「宝の民」とされました。神は「ノア」や「アブラハム」や「モ−セ」を選び(招き)、その時代の中で神の使命を担う者とされました。そして、今も主は「疲れた者、重荷を負う者は私のもとに来なさい。休ませてあげよう」 と私たちを優しく招いてくださっています。
(神の招きの基準) 私たちが人を選任する時は、極めて優れている者、その任に耐え得る者、即ち一定の基準に達している相応しい人を選びます。選ばれた人は、自信と誇りをもってその任に着きます。 しかし、神の選びは異なります。今日のみ言葉の7〜8節には「主があなたたちを選ばれたのは…あなたたちはどの民よりも貧弱であった」からとあります。そして「あなたに対する主の愛のゆえに」とあります。選びの基準は「最も貧弱であった」事であり、「あなたに対する主の愛ゆえに …神の約束のゆえに」選ばれたとあります。
(主の愛のゆえに) 私たちが選ばれるのは「主の愛のゆえに」と言うのがキ−ワ−ドです。神はこの世的な計算をしないで私たちを選んで下さいました。神は私たちを選ぶ事で損をなさる事を承知の上で選ばれるのです。神が計算される方だったら私たちは選ばれなかったで しょう。神はそんな私たちを選び、私たちのする事に耐えてくださり、導いてくださいます。神は最も弱く、みすぼらしく、罪深い私を選び、私のする事に耐えてくださいます。それが「主の愛のゆえ」です。
(何のために選ばれるのか) では私たちは何のために選ばれるのか。 それは @Tコリント1章26〜31節にあるように「神によってキリストに結ばれるため」即ち「宝の民」となるためです。「すべての民からあなたを選んで、御自分の宝の民」(申14章2節)とするためです。神の内に所有される民となるためです。
A第2の事は「主のみ業を宣べ伝える」ためです。Tペテロ2章9節に「選ばれた民…神のものとなった民…光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。」とある通りです。このようにして神は私たちをこの世に派遣し、証し人としてまた福音宣教活動に用いられるのです。
(まとめ) H.クレーマーは「教会の信徒とは、証しと奉仕のために世界に派遣された者」と言いました。全ての信徒は神に選ばれ、神の栄光のために証しと奉仕に招かれているのです。 ルカ14章15節からの「大宴会」の譬えにあるように、招かれている人が自分の都合でその宴会に行かないと言う事がないように神の招きに真実をもって応じ、神の祝福に与りたいものです。
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