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2011/03/06(日)
「ベテル〜そこに神が共におられる」大嶋博道牧師
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総員礼拝・聖餐式 (聖書)創世記28:10〜22、35:1〜7 (プロロ−グ) ベテルとは「神の家」「神の住まい」を意味します。 旧約聖書の時代においては「ベテル」は特に重要な場所でした。 エソウとヤコブは双子でした。ヤコブは兄エソウの踵を掴んで生まれて来たのでその名は「掴む」と言う意味があり「人を押し退ける者」「人を出し抜く者」と言われていました。エソウは野性的な狩人でヤコブは天幕の周りで働いていました。父は狩猟の肉が好きだったのでエソウを愛し、母はヤコブを愛しました。その為に家は乱れました。 ヤコブは母と組んでエソウの長男の祝福の権利を奪います。そこでエソウはヤコブを憎み、殺意を抱くようになったのです。母はヤコブを自分の郷ハランに逃がします。 ベエル。シェバを発ってハランへ向かう途中の出来事が今日の28章のテキストです。
(ヤコブのベテル体験) ヤコブは夢を見ます。それは天から地に向かって階段が伸びていて神のみ使いが上がり下りしています。主なる神は逃亡中のヤコブに「あなたと共にいる。必ずこの地に連れ帰る。決して見捨てない」と力強く約束をされたのです。ヤコブは夢から覚めて、記念碑を立て、その地を「ベテル」と名付けます。これがヤコブのベテル体験です。
本論: 多忙な現代社会に生きる私たちキリスト者も、この「ベテル体験」をしたいものです。そのベテル体験は二つあります。 (私たちのベテル体験) (1)その第1の事は「神の臨在を確認する」事です。多忙な日常生活の中にあって私たちは神を思う事が少ないのではないかと思います。いや、神を忘れてはいないでしょうか。神と私たちとの極めて正確な「霊的距離」を常に保ち、神のみ顔が明瞭なポイントに自分を置く「臨在信仰」は大切です。私たちにとってはイエス・キリストを意識する信仰です。そしてその方法は「礼拝者」であり続けること、日々の祈りとみことばによるデボーションです。
(2)その第2の事は「信仰の成長を確認する」事です。ヤコブはずるい方法で長男の権利を手にしましたが今日のみことば16節にあるように「神のおられる事に気づきます」これは霊的な成長を意味します。そして石を記念碑として立てて神の家としました。 ここにヤコブの信仰の成長があります。32章の「ペニエル(神の顔を見る)の体験」を経て35章1節以降で、ヤコブは神の命令により、身を清め、衣服を整えてベテルに上り、苦難の時に共にいて下さった神に祭壇を築きました。そこを「エル・ベテル」と名付けたのです。 まとめ: 私たちの信仰生活において、日曜ごとの礼拝生活をとおして、またウイークデーのみことばと祈りをとおして「神の臨在」を確認し、信仰の成長(恵みの高嶺)を目指して歩み続けたいものです。祝福をお祈り致します。
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