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2011/05/31(火)
「でも、信仰に踏みとどまる」大嶋博道牧師
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聖日礼拝 フィリピの信徒への手紙1:27〜30 はじめに: キリスト者の信仰生活にとって、祈りや賛美、奉仕や献げもの、また日々のデボ−ションは大切な事ことです。しかし、今朝はパウロがフィリピの信徒たちに書き送った手紙の中から特に大切な二つのことを学びます。 (1)「キリストの福音にふさわしい生活」(1:27)、 (2)「キリストのために苦しむことも恵みとして与えられている」と言う二つのみ言葉です。
(福音にふさわしい生活) 「キリストの福音にふさわしい(アクシオス)」とは、福音に価する、福音に適っているという意味で、キリスト者の生き方、振る舞いを方向づける言葉です。 私たちは主イエス・キリストに選ばれ、その豊かな恵みによって生かされているのですから、キリストの福音にふさわしい生き方をしなければなりません。
(キリストのための苦しみとは) キリスト教信仰には「受ける」(得る)と言う生き方ともう一つ「献げる」(差しだす)と言う生き方があります。この二つが表裏一体となっているところに信仰生活のいのちがあります。 しかし、受ける、差し出す以外にもう一つの生き方として「キリストのために苦しむ」生き方があるのです。パウロはキリストのために苦しむ生き方がキリスト者としての生き方の「基礎」だ と言っています。 その苦しみとは、 @周囲から受ける圧迫や攻撃(パウロの時代は「迫害」) Aまた信仰を貫こうとする時に生じる生活上の労苦、周囲との軋轢、抵抗 Bさらに、それでも自分はクリスチャンだろうかという内的葛藤や苦しみなどがあります。
(でも、信仰に留まる!) キリストのための苦しみを引き受けてこの信仰に留まる根拠は何か?それは「神から恵みとして与えられている苦しみ」(1:29)だからなのです。「苦しみは」キリスト者に着せられる婚礼の 晴れ着」(M.ルター)です。
(キリストの内に留まることが出来る苦しみ) 私たちはこの苦しみの体験をとおして@本当のキリストを発見し、Aこの苦しみの体験こそ救いの印となるのです。ですから、苦しみを通して私たちの信仰が強められ、そこに神の恵み を見出し、キリストの内に留まることが出来るのです。
キリスト者として 自らを貫こうとするとき、周囲の圧迫や抵抗、また不都合に出会います。しかし、それは信仰から離れさせようとするサタンの業ではなく、私たちを強く主イエス・キリストに結びつけようとされる「神のみ業」なのです。 「それでも、生涯、この信仰に踏みとどまりましょう!」祝福をお祈り致します。
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