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2011/05/22(日)
「本当の愛とは」畑中康雄勧士
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信徒礼拝 (聖書)ローマ12:9〜21 (キリスト教的生活の規範) 今日の聖書の小見出しは「キリスト教的生活の規範」となっていますから私たちクリスチャンはこの教えに沿った生活をする事が大切です。今日はここから愛の実践のために4つの事を学び ます。
(偽りのない愛) 先ず「愛には偽りがあってはならない」とは「動機が純真でなければならない」「内心の思いと外面の行いとが異なる表面的な愛は本当の愛ではない」「偽善者であってはならない」と言う事を意味します。内村鑑三先生は「愛は仮面をつけてはならない。また、愛は演劇的であってはならない。クリスチャンの愛は率直、赤裸々、自然的であって、演劇的であってはならない」と言われています。愛は神のみ心の働きであるから私たちは「悪を憎み、善から離れてはならない」と教えています。
(兄弟と隣人への愛) 2番目に「兄弟と隣人への愛」についての教えです。ここで「隣人」とは「たまたまわたしを必要とするあらゆる人のこと」で「いかなる人をも見知らぬ人とは考えない」神のみ心を言います。人々がキリストにひかれるのはこの愛ゆえなのです。ですからキリストの愛によって結びあわされた私たちキリスト者は意見とか思想を超えて互いに愛し合わねばならないのです。
(迫害する者のために祝福を祈る愛) 続いての教えは「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい」と自分を迫害する者にも同じ愛をもって接しなさいとの教えです。これはイエスが教えられた「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」とのみ言葉の実践です。
(喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く愛) 4番目の教えの「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」事はなかなか難かしい教えです。愛は喜びと悲しみにおいて自らを他人と一つにします。それはマルコによる福音書12章28節からで教えれている2つの最も重要な掟の一つである「隣人を自分のように愛しなさい」の実践です。隣人の立場に自分を置き、隣人と悲しみを分かち合い、隣人の思いを我が思いとして隣人と共に祈る事です。パウロは全ての人々と同じ立場で、身分の上下を捨てて謙虚な気持ちで接するように勧めています。
この4つの教えを実践するために隣人に関心を持ち、理解し痛みを覚えて祈り合う生活をしたいと思います。へりくだった、謙虚な「貧しい心」の持ち主でありたいと思います。
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