|
2011/06/12(日)
「神は養ってくださる」 大嶋博道牧師
|
|
|
ペンテコステ花の日大人子ども合同礼拝 (聖書)ルカ12:22〜32 序 論: 今日のみことばの中に「だから」と言う言葉が使われており、その後に「…思い悩むな」が続きます。「だから」とはルカ12:13〜21の自分のために倉を建てて豊作の穀物を収納した愚かな金持ちの生き様を指しています。イエスは「今夜、命を失ったら倉の穀物は誰のものになるのか?」と問いかけています。だから、「あくせく思い悩むな」というのです。 さて、「思い悩み」は一体どこから来るのでしょうか。 「思い悩み(メリムナ)」とは、ある事柄に心が虜になること、また「心が集中出来ない」状態すなわち「心の分割」を言います。私たちの思い悩みは@お金の事A健康の事B自分に課せられた責任を果たす能力の事C容姿の事D性格の事E人間関係の事F子 育ての事G仕事の事H結婚の事I自分の将来の事、等々生きていく上で生じる様々な事から生じてきます。あれこれ思って心が集中出来なくなり、不安定になるのです。
では、人間は何故「思い悩む」のでしょうか。 @思い通りにならない未来を思い通りになると思いこむから。(計画通りには) A私たち人間は全ての事柄をマイナスに考えるから(悲観的、消極的) B私たちは物を持ちすぎているから C人間の本質は「未完成」であると言う事を受け入れないから D私たちは自分の人生を神様に委ねる事が出来ないから。 本 論: イエス様は今日の聖書のみ言葉にあるように私たちの目を「空の鳥や野の花」に向けさせられました。それは、空の鳥(カラス)は種も蒔かず、刈ることもないのに神は養って下さり、野原の花(野アザミ)は働きもせず、紡ぎもしないのに神は装って下さるのです。 「まして、あなたがたにはなおさらのことである」(28節)と神は言われます。詩編37:3〜5に「主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。」というみことばがあります。徹底的に主に信頼し、信仰に生きることが求められています。野の草花を見ながら、神様のご配慮に気づきたいと思います。神のご配慮は「予め見ておられる神(pro-video)」だからです。 まとめ: ジョン・ウエスレーは「思い悩む」という説教でこう述べています。「遠い将来に何をしようなどと、思い悩んではなりません。そのような遠い将来はあなたに来ないかも知れません。また、あなたの関心事でなくなっているかも知れません。その前に、あなたは人生のあらゆる波をくぐり抜けて永遠の岸辺(天国)に到達しているかも知れません。あなたはその日その日の存在でしかないのです。神はあなたに与えられたいのちを支えるために必要なものは何でも、今日あなたのために備えてくださいます。神の御手にゆだねなさい。」と。 明日は神様の領域です。私たちの持ち時間ではないのです。私たちは、明日に向けられている私たちの思い悩みをすべて神に委ね、最善が成ることを信じて生きるだけでいいのです。
|
|
|