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2011/06/19(日)
「みことば〜密のように甘く」大嶋博道牧師
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特別礼拝〜天国の西脇衛士兄と共に(聖書)コロサイ2:12〜17 (西脇兄を覚えて) 今日は1年前に天国にお送りした西脇兄を覚えて礼拝を守ります。西脇兄は「みことばの人」でした。みことばに生かされた人生でした。全生活をみことばに献げられました。みことばが大好きでみことばを愛された人生を歩まれました。 (みことばとは何か) みことばとは何か、それは @わたしの今日と明日を照らすまことの光です。詩編119編105節に「あなたの御言葉は、わたしの道の光わたしの歩みを照らす灯」とあるとおりです。私の歩いている足下を照らし、私の将来を照らす光がみことばです。
Aみことばは密のように甘いのです。エゼキエル3章2〜3節に『主はこの巻物を私に食べさせて言われた。「人の子よ、私が与えるこの巻物を胃袋に入れ、腹を満たせ。」わたしがそれを食べると、それは密のように口に甘かった。』とある通り、みことばを味わうと密のように甘いのです。 日々の生活の糧となる甘い味わいがみことばにはあります。
Bみことばは生活の中で偉大な力を発揮します。ヘブライ4章12節に「神の言葉は生きており、力を発揮し、…心の思いや考えを見分けることができるからです。」とあります。みことばが毎日私の中に入りますからみことばによって私の命を支えるのです。
Cみことばは魂の奥深くに宿るものです。頭の中ではなく、心の奥深くに宿るのです。コロサイ3章16節にも「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。」とあります。ウエスレ−は「聖書のみことばを魂の奥深くに宿らせよ(residence)」と言っています。(私たちの生活の基準となるみことば)
みことばに触れましょう。親しみましょう。みことばに生かされて生きるとは全ての事において聖書を基準として生きると言う事です。大きな事にも小さな事にも私の人生全てに対して聖書を基準として生きると言う事です。私たちの日々の生活の中で、全ての場面においてみことばを重んじる生活をするようにしましょう。
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