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2011/06/05(日) 「宝の民とされて」大嶋博道牧師
総員礼拝・聖餐式 (聖書)申命記7:6〜8

本日の説教の題は本来なら「私たちは神の・・・」とすべきでしょうか。
 今日は申命記のテキストをを通して次の3つの事を学びます。

(1)選びの民である。
 私たちは「選びの民」であると言う事がその第1の事です。神は当時のエジプトやアッシリアのような強大な国でなく、欠けの多い、貧弱な者、最も数が少なかったイスラエルの民をあえて選
ばれたのです。主が心引かれて選ばれた理由は、彼らが「貧弱であった」からなのです。
同様に、神は「この世の無に等しい者(私たち)」をあえて選ばれたのです。選びの主体は神にあります。

(2)宝の民である
 神ご自身の「宝の民」とされたと言う事がその第2の事です。滅び行く、さすらいの民であったイスラエルの民を主は「宝の民」とされました。「宝」と訳されたヘブル語の「セグッラ」は「私有財産」という意味で、極めて主観的な財産のこと、神にとっての特別な「宝」とすることなのです。神は民を「ご自身の宝の民」とされたのです。

(3)聖なる民である。
 あなたの神、主の「聖なる民」とされた、と言う事が第3の事です。神は私たちをこの世に「証し人」として遣わすために、私たちを「聖なる者」として下さるのです。
 前後しますが、「聖」とは「分離」「区別」と言う意味があります。他の者と「分けて」神が特別に「聖別」されたのです。私たちは神の所有物として「聖別」されたのです。
 私たちが献げる献金も自分の財布の中にあるときは聖なるものではありません。しかし、これを祈りつつ、主の御心にそって信仰をもって神に献げる時に、神はそれを「聖なるもの」として下
さるのです。私たちも自らを神にささげましょう。「主よ、わたしをきよめてあなたのご用に用いてください」と。
 私たちの教団標語「全き愛から更なる宣教へ」というのは、まさにこの意味なのです。私たちは全ききよめをいただいて(全き愛に満たされて)、福音宣教へと遣わされたいものです。

「あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがた が広く伝えるためなのです。」(ペトロ第一2:9)


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