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2011/07/17(日) 「聖なる傷あとに触れて」大嶋博道牧師
聖日礼拝 ヨハネ20:19〜29

(復活の主イエスが見せられたもの)
 結論から申し上げますと、私たちは十字架に架けられて贖いの死を遂げてくださった主イエスの「手とわき腹の聖なる傷あと」に触れることによって慰められ、癒され、真の命を得ることが出来ます。
 
今日のみ言葉によると復活されたイエスは甦られたその日の夕方に弟子たちの所に入って来られて「シャローム(あなた方に平和があるように)」と挨拶をされました。そしてご自身から弟子たちに手とわき腹を見せられました。弟子たちはこれを見てこの方がイ
エスであると確信したのです。しかし、トマスはこの場所に一緒にいなかったので、彼は「手に釘の跡を見、指を釘跡に入れてみなければ決して信じない」と言いました。
 8日後、トマスの居る所にイエスが現れ、ご自身から「わたしの手を見なさい。手を伸ばしてわたしのわき腹に入れなさい」と促されたのです。そしてトマスはそれを見て復活のイエスを信じたのです。

 私たちも主イエスを見て確信し信仰を確認すること、即ち、主イエスの傷跡を見て、触れ続ける信仰生活を送ることは大切なことなのです。 ところで、私たちには肉体の傷だけでなく、心に刻まれた傷があります。その傷はお互いに触れられたくない傷です。
そしてしばしば疼いたり痛むことがあります。しかし、私たちはその傷を引き受けて人生を歩まなければなりません。その事は大切なことなのです。

(本論)
 では、私たちは何故、主イエスの聖なる傷に触れる事が大切なのでしょうか。元より、主イエスの聖なる傷に触れるとは、礼拝において聖書のメッセージに触れたり、喜びを以て賛美したり、日々、みことばと祈りに支えられる信仰生活のことです。その事をとおして聖なるみ傷に触れる事が出来るからです。

 そしてその必要性は2つあります。
@自らの人生の中で経験した傷跡、即ち罪深さや弱さに気づかされてそこから解放されるため。弟子たちはイエスの傷に触れる事によってイエスを見捨てて逃げた自らの罪深さに気づきました。そしてそのままの姿を主イエスに受け入れられて癒されたのです。
A第2の事は新たな生きる使命を与えられる事です。人はどのように生きるかと言う事が求められているからです。
イザヤは神殿で聖なる神の臨在に触れて、自らの罪が赦されて預言者としての新しい使命(遣わされること)を与えられたのです。

(まとめ)
パウロは「私は十字架の主以外に誇るものはない」と言っています。私たちも十字架の主イエスを誇りとし、このお方の聖なる傷跡に触れることによって慰めを得、癒され、真の命を得たいと思います。主イエスから目を離さないで信仰生活を続けましょう。


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