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2011/07/03(日)
「あなたはどこに立っているのか」大嶋博道牧師
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総員礼拝 (聖書)ヨシュア記5:13〜15 序 論: (神からの問いかけ) 聖書は私たちに「あなたはどこに立っているのか」と問うています。それは、具体的な場所ではなくて「心の状態」を尋ねているのです。あたなはどんな心の状態で、何を目的に、何を支えに生きていますか?あなたの人生は大丈夫ですか?と神は問われています。 旧約聖書において神は2人の偉大な指導者に問いかけておられます。1人はモ−セで出エジプト3章5節での問いです。モ−セが土足で(履き物をはいて)聖なる場所(神の山ホレブ)に立っていた時に神は問いかけられました。もう一人は今日のテキストのモーセの後継者ヨシュアに対して問いかけられました。
(神からの言葉…全てを委ねて生きよ) 神はヨシュアと共に居られました。ヨシュアがギルガルを出てエリコのを目の前にした時に彼らは土地の産物を食べ始めました。そしてその時からマナは降らなくなりました。自ら農耕をしなければならなくなったのです。その上に、前にそびえる難攻不落のエリコの城壁を乗り越えなくてはならないという不安と恐れの中で祈りつつ立っていた事でしょう。ヨシュアは責任者として乗り越えなければならない人生の壁を前にして立っていたのです。その時にヨシアの前に一人の男が立ちます。(5:13)その男は主の軍の将軍であると言います。これを聞いたヨシュアは地 にひれ伏して拝みます。男はヨシュアに「あなたの足から履き物を脱げ。…」と言われました。 主は「わたしを信頼し、あなたの権利をわたしに譲渡しなさい」と、言われたのです。ヨシュアの戦いは実は主ご自身の聖なる戦いだったのです。「全てを主に委ねて生きなさい」と言われた のです。
本 論: (あなたの立ち位置) この世に生きるキリスト者はどこに立つべきか。その立ち位置はどうあるべきかをお伝えしたい。 @聖なる臨在に触れ続ける場所に立つと言うことが第1の事です。この世に倣わないで(調子を合わさないで)聖なる神の臨在に向き合って立つのです。その具体的なあり方はローマ12:1 〜2に記されています。
A主のみ前では履き物を脱いで立つと言うこと〜すなわち全き明け渡しをして生きると言うことです。「履き物を脱ぐ」とは権利の譲渡を意味します。主は最善をなしてくださることを信じ、委 ねて生きることです。(ペトロ第一5:7のみ言葉を心に留めましょう。)
B自分の利益のためではなくて他者の利益の為に、共に生きる者の「得」のために生きるという考えに立つと言う事です。あなたの立ち位置はここにあるのです。
まとめ: わたしたちの立ち位置は主の臨在の前であり、全く明け渡しであり、喜んで犠牲を引き受けるところにあります。そこに立ち続ける時に、神は必ず祝福し、勝利をもたらせてくださるのです。
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