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最新の絵日記ダイジェスト
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2014/12/28 「信仰と希望に踏みとどまる」コロサイ1:21〜23 
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2011/08/28(日) 「あなたのタラントを生かして」大嶋博道牧師
フレンズ・サンデー礼拝 (聖書)マタイ25:31〜40

(序 論)
 今日の聖書のタラントの譬え話を学ぶ中で大切な事は次の2点です。
@主人が僕に財産を預けて旅に出かけた
A時を経てやがて主人が帰って来て、僕たちと預けたタラントの精算をした事です。
 そしてこの譬え話の前提は、この世界は神から委ねられた世界であり、私たちは神によって守られ、やがて神の前にその歩みの責任を問われる日が来るということです。
 タラントとは
元々「タラント」とは重さの単位でしたが、後に貨幣の単位(1タラントン=6000デナリオン)となり、そして賜物や才能を意味するようになりました。私たちはそれぞれ神様から「賜物」と「期待」と「使命」を委ねられてこの世に送り出されてきました。
 この物語では、主人は自分の財産を僕たちにそれぞれ5タラント、2タラント、1タラントを預けます。やがて主人は精算をするために帰って来ます。その財産を活用した僕は「忠実な僕、よくやった」と褒められ、失敗を恐れて1タントを地下に埋めて何
も生かさなかった僕は「怠惰な僕」と、厳しく叱られます。

(本 論)
 私たちは与えられたタラントとどのように向き合ったら良いのか
この譬え話にあるように神様は皆さんそれぞれにタラントを預けて、絶対的な信頼を寄せてこの世に送ってくださったに違いありません。私たちは神様から与えられたタラントに応じて生きていかなければならないのです。神様のご期待を裏切るような事があ
ってはいけないのです。では、「タラント」とどう向き合ったら良いのでしょうか。

@与えられたタラントにふさわしく(実を結ぶように)誠実に生きると言う事が第1の事です。
私たちはお互いに能力も性格も趣味も好みも生活の姿勢もすべて違っているのですから、人と比較せず、競走することもなく、ありのまま自分に忠実に生きることです。

A第2の事は私たちは人生を決算する時が来るという事、人生をどう生きたかと言う事を問われる時が来るという事、しかもそれは突然に来ると言う事をわきまえて生きると言う事です。

(結 論)
今日の聖書は私たちの「人生を問われる方がおられる」事を指し示しています。
人生を精算しなければならない時が来ると言う事を教えています。その時には私たちは神のみ前に立って、神の審判を受けるのです。私たちの人生の主人は神様なのです。
神様からお預かりした「タラント」を生かして神と人とに仕えて生きていきましょう。そして「忠実な僕よ、よくやった」との賞賛の言葉を聴きたいものです。

2011/08/25(木) 「夏のうちに集めよ」大嶋博道牧師
聖日礼拝 箴言10:1〜7

(FM世界会議に出席して)
 私は教団理事長として8月8日(月)から8月17日(水)までアフリカのブルンディであったFM世界会議に出席しました。その間、お祈りを頂き有り難うございました。今回の出張で次の3
つの事を感じました。
@第1の事は「世界は広大である」という事です。人種も異なり、言葉も違います。なによりも日本からは遠いです。
A第2に感じた事は「世界のFMの大きさとその信仰のすばらしさについて」です。参加させて頂いて良かったと感謝しています。
B最後に3番目に感じた事は、「思い立ったが吉日」という諺がありますが、この機会に世界会議に参加出来た事、時を生かしてアフリカを訪れることができた事、まさに今は「恵みの時である」ことを痛感しました。温かいお祈りと留守の間の皆様方の様々なご奉仕に感謝します。

 序 論:
(1)箴言とは―古代イスラエルで伝えられていた格言(諺)や教訓が集められたもので、人生や社会生活の中で「何が真理か」「何が公正か」「何が賢い行いか」「何が勤勉か」「何が慎み深く、へりくだった生き方か」という事などについて教えたものです。
(2)今朝のテキストに学ぶ―「夏のうちに集めるのは成功をもたらす子」「刈り入れ時に眠るのは恥をもたらす子」(箴言10:5)イスラエルの収穫期は4月〜7月前半頃と言われます。「夏」も
「刈り入れ時」も同じ意味で、「集める」とは活動する、「眠る」はすべきことをしないで無駄に過ごすことを意味します。

本 論:このみ言葉から次の2つの事を学びます。
@私たちの人生の夏は恵みの時であり、それは何時かというと「」なのです。今、あなたのための恵みの夏は朝な夕なにあって実を結びます。今日のメッセ−ジはアフリカで体調を崩して祈っている時に与えられたみ言葉です。私は今まで、時に対しては消極的で、「チャンスはまたいつか訪れる」と楽観していました。しかし、この時ばかりは「恵みの夏のうちに」を深く思わ
されました。アフリカに来ているこの時が私にとって恵みの夏であるという確信を得たのです。

A私たちの人生の夏は「決断の時」であるという事です。決断することは選ぶこと、選ぶことは選んだもの以外は捨てるということです。イザヤ書55章6節に「主を尋ね求めよ、見出しうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。」とあります。神は私たちが呼び求めるのを待っていてくださるのです。それは「今」なのです。私たちは、今、この時に主を呼び求める事が必要です。それが「収穫の夏」なのです。
まとめ:
 私たちは今、集めましょう。主はあなたがドアのノブに手をかけてドアを開けるのを待っていてくださるのです。神様はあなたの今を夏として、恵みの時として最善に導こうとして待っていて下さるお方です。
見よ、今こそ恵みの時、今こそ、救いの日」(コリント二6:2) 

2011/08/14(日) 「一粒の麦」畑中康雄勧士
信徒礼拝 ヨハネ12:20〜26

(プロロ−グ)
12章の1節以下によるとイエスは過越の祭りの6日前にベタニヤに行かれました。大勢のユダヤ人が祭りの時、礼拝のために上って来た人々の中にギリシャ人が幾人かいました。このギリシャ人(異邦人)はイエスに出会えたのでしょうか。(イエスにお目にかかりたいのですが)
この人たちがフィリポの所に来て「イエスにお目にかかりたいのですが」と言って頼みました。イエスはフィリポとアンデレがギリシャ人がイエスに会いたがっていると言う問いかけに対して全く違った事を言われます。「人の子が栄光を受けるその時が来た」と。
それは23節にあるように「ご自分の時が来た」と言う事を知っておられたからです。キリストの十字架による罪の贖いがなければ異邦人の罪の赦し、救いは無いからです。十字架上で死に、よみがえられ事により神の子イエスは死に対する勝利者となられるからです。ですからギリシャ人が救いを求めて来た時に彼らに本当の救いを差し出すためには十字架による贖いが必要でした。そのために「人の子が栄光を受ける時が来た」と言われたのです。そして聖書の注解書によると23節以下のイエスのお言葉はイエスに出会ったギリシャ人に語られたイエスのお言葉の要約ではないかと言われています。このギリシャ人はフィリポとアンデレの案内でキリストに出会う事が出来て、本当の救いに与る事が出来たのです。

(私たちに何が出来るか)
今日は23節の「フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した」と言う箇所に注目してお話をしました。それは私たちに出来る奉仕は何かと言う事をご一緒に考えるためです。私たちの奉仕は何でしょうか。イエスに会いに来たギリシャ人は誰かの案内がなければイエスにお会いする事が出来なかったのです。

フィリポとアンデレはイエスに会いたいと願っているギリシャ人をイエスに引き合わせると言う大切な働きをしたのです。フィリポとアンデレの手引きでイエスに出会ったギリシャ人は26節にあるように「わたしに仕えようとする者は、私に従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる」と言うお言葉通りギリシャ人はイエスに従う事により神様
に大切にされる者となった事でしょう。そのための大切な働きをしたのがフィリポとアンデレでした。この2人の働きが無ければギリシャ人はイエスにお目にかかれなかったのです。

イエスは御自身を一粒の麦と言われました。私たちはイエスの言葉に従う者ですから「一粒の麦」である主に倣って、そしてこのフィリポとアンデレの働きに倣って小さくても実を結ぶ働きに加わりたいものです。    

2011/08/07(日) 「苦情が出たときから」大嶋博道牧師
総員礼拝・聖餐式 使徒言行録6:2〜7

序 論:
 初代教会の成長の経緯
 聖霊のバプテスマを経験した初代教会は主イエスの十字架の贖いの死と復活を語り始め、理想的な教会に成長しました。その姿は使徒2:43〜47に記されています。
 @多くの不思議な業としるし(伝道と奉仕を実践する群れ)
 A皆一つになってすべての物を共有しあっていた。(分かちあう群れ。)
B心を一つにして神殿参り(礼拝する群れ
 C家ごとに集まり、賛美と食事をしていた(真実な交わりの群れ
Dこれらの信仰生活の結果、人々から好意を寄せられていた。(愛される群れ
 ところが、6章になって、最初の教会に大きな問題が生じます。「弟子の数(クリスチャン)が増えてきて、理想的な群れの中から「苦情」が出た」というのです。
誰から誰に苦情がでたのか?

ギリシャ語を話すユダヤ人からヘブライ語を話すユダヤ人に対して 日々の配給(食事)のことで、「やもめ」たちが軽んじられている(のけ者にされている。冷遇されている)、との苦情が起こったのです。
苦情」を意味するゴグスモスは、「呟き(つぶやき)」、「不平」「ささやき」などとも訳されています。
そこで12人(イエスの弟子たち)はこの「苦情」を適切に処理するためにすべてのクリスチャンたちを呼び集めて「解決策」を説明しました。6:3「あなたがたの中から霊と知恵に満ちた評判の良い人を7人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。(日々の食事の分配)」6:4「わたしたち(弟子たち)は祈りとみ言葉の奉仕に専念することにします。」
このようにして選ばれた7人は最初の教会の信徒の役員になったわけですね。その結果、最初の教会はますます成長して行ったのです。

本 論:
この出来事から学びたいこと
(1)一つの群れから「苦情」が生じた時こそ、その群れが豊かに成長する機会(チャンス)つまり、「苦情」は教会であれ、職場であれ、家庭であれ、一つの集団、群れにとっては大切なもの、不可欠なものなのです。決してマイナスではない。

(2)「苦情」をしっかり聴き取り、適切に処理すること
苦情を打ち明けた人は、特にこれと言った話しをしたわけではないが、人生で初めて人に心を包んでもらった、人生で初めて自分の味方になってくれる人と出会った、自分をもたれかける相手を見出せた・・・・・大げさに言えば、人生への勇気が涌いてくるのです。

(3)神様は、あなたの「苦情」をしっかり聴き取って、最善に変えて下さる。16:8参照 16:12参照
「主はあなたたちが主に向かって述べた不平を、聞かれたからだ。」 「わたしは、イスエラエルの人びとの不平を聞いた。あなたたちは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満足する。」

まとめ:
もう一度、使徒言行録6章に戻りましょう。
ギリシャ語を話すヘレニストのユダヤ人から出た「苦情」が原因で、最初の教会にはみことばに専心する弟子たちと、食事など日々の生活のことを心配する教会の役員が誕生したのです。そして、選ばれた役員は「霊と知恵に満ちた評判の良い人」ばかりだったので、教会組織は健全に成長しました。ステファノやフィリポは役員でありながら、宣教の働きに導かれました。
こうして神の言葉はますます広まり、弟子の数(クリスチャン)はエルサレムで非常に増えた」と報告されています。


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