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2011/08/28(日)
「あなたのタラントを生かして」大嶋博道牧師
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フレンズ・サンデー礼拝 (聖書)マタイ25:31〜40 (序 論) 今日の聖書のタラントの譬え話を学ぶ中で大切な事は次の2点です。 @主人が僕に財産を預けて旅に出かけた事 A時を経てやがて主人が帰って来て、僕たちと預けたタラントの精算をした事です。 そしてこの譬え話の前提は、この世界は神から委ねられた世界であり、私たちは神によって守られ、やがて神の前にその歩みの責任を問われる日が来るということです。 タラントとは 元々「タラント」とは重さの単位でしたが、後に貨幣の単位(1タラントン=6000デナリオン)となり、そして賜物や才能を意味するようになりました。私たちはそれぞれ神様から「賜物」と「期待」と「使命」を委ねられてこの世に送り出されてきました。 この物語では、主人は自分の財産を僕たちにそれぞれ5タラント、2タラント、1タラントを預けます。やがて主人は精算をするために帰って来ます。その財産を活用した僕は「忠実な僕、よくやった」と褒められ、失敗を恐れて1タントを地下に埋めて何 も生かさなかった僕は「怠惰な僕」と、厳しく叱られます。
(本 論) 私たちは与えられたタラントとどのように向き合ったら良いのか? この譬え話にあるように神様は皆さんそれぞれにタラントを預けて、絶対的な信頼を寄せてこの世に送ってくださったに違いありません。私たちは神様から与えられたタラントに応じて生きていかなければならないのです。神様のご期待を裏切るような事があ ってはいけないのです。では、「タラント」とどう向き合ったら良いのでしょうか。
@与えられたタラントにふさわしく(実を結ぶように)誠実に生きると言う事が第1の事です。 私たちはお互いに能力も性格も趣味も好みも生活の姿勢もすべて違っているのですから、人と比較せず、競走することもなく、ありのまま自分に忠実に生きることです。
A第2の事は私たちは人生を決算する時が来るという事、人生をどう生きたかと言う事を問われる時が来るという事、しかもそれは突然に来ると言う事をわきまえて生きると言う事です。
(結 論) 今日の聖書は私たちの「人生を問われる方がおられる」事を指し示しています。 人生を精算しなければならない時が来ると言う事を教えています。その時には私たちは神のみ前に立って、神の審判を受けるのです。私たちの人生の主人は神様なのです。 神様からお預かりした「タラント」を生かして神と人とに仕えて生きていきましょう。そして「忠実な僕よ、よくやった」との賞賛の言葉を聴きたいものです。
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