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2011/08/25(木)
「夏のうちに集めよ」大嶋博道牧師
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聖日礼拝 箴言10:1〜7 (FM世界会議に出席して) 私は教団理事長として8月8日(月)から8月17日(水)までアフリカのブルンディであったFM世界会議に出席しました。その間、お祈りを頂き有り難うございました。今回の出張で次の3 つの事を感じました。 @第1の事は「世界は広大である」という事です。人種も異なり、言葉も違います。なによりも日本からは遠いです。 A第2に感じた事は「世界のFMの大きさとその信仰のすばらしさについて」です。参加させて頂いて良かったと感謝しています。 B最後に3番目に感じた事は、「思い立ったが吉日」という諺がありますが、この機会に世界会議に参加出来た事、時を生かしてアフリカを訪れることができた事、まさに今は「恵みの時である」ことを痛感しました。温かいお祈りと留守の間の皆様方の様々なご奉仕に感謝します。
序 論: (1)箴言とは―古代イスラエルで伝えられていた格言(諺)や教訓が集められたもので、人生や社会生活の中で「何が真理か」「何が公正か」「何が賢い行いか」「何が勤勉か」「何が慎み深く、へりくだった生き方か」という事などについて教えたものです。 (2)今朝のテキストに学ぶ―「夏のうちに集めるのは成功をもたらす子」「刈り入れ時に眠るのは恥をもたらす子」(箴言10:5)イスラエルの収穫期は4月〜7月前半頃と言われます。「夏」も 「刈り入れ時」も同じ意味で、「集める」とは活動する、「眠る」はすべきことをしないで無駄に過ごすことを意味します。 本 論:このみ言葉から次の2つの事を学びます。 @私たちの人生の夏は恵みの時であり、それは何時かというと「今」なのです。今、あなたのための恵みの夏は朝な夕なにあって実を結びます。今日のメッセ−ジはアフリカで体調を崩して祈っている時に与えられたみ言葉です。私は今まで、時に対しては消極的で、「チャンスはまたいつか訪れる」と楽観していました。しかし、この時ばかりは「恵みの夏のうちに」を深く思わ されました。アフリカに来ているこの時が私にとって恵みの夏であるという確信を得たのです。
A私たちの人生の夏は「決断の時」であるという事です。決断することは選ぶこと、選ぶことは選んだもの以外は捨てるということです。イザヤ書55章6節に「主を尋ね求めよ、見出しうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。」とあります。神は私たちが呼び求めるのを待っていてくださるのです。それは「今」なのです。私たちは、今、この時に主を呼び求める事が必要です。それが「収穫の夏」なのです。 まとめ: 私たちは今、集めましょう。主はあなたがドアのノブに手をかけてドアを開けるのを待っていてくださるのです。神様はあなたの今を夏として、恵みの時として最善に導こうとして待っていて下さるお方です。 「見よ、今こそ恵みの時、今こそ、救いの日」(コリント二6:2)
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