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2011/09/04(日)
「収穫の主を仰ぎつつ」(台湾聖光神学校)D.クレメンテ牧師
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特別礼拝 マタイ9:35〜38 (序論) 台湾FM聖光神学校の教授をしていますD・クレメンテです。御教会をお訪ねしてこのように共に礼拝を守り主のお言葉をお伝え出来る事を光栄に覚えます。今日は主の収穫、即ち救われる民がどれほど神の憐れみを受けているかとという事をお伝えします。世界中の多くの人々が神様の憐れみにより洗礼を受けて救われています。 FMの群れの中にもそのような「収穫」の恵みを与えて下さっています。神はその民を収穫するためにいろんな人を招いてくださいます。その事を今日のみ言葉から学びます。
(本論) 今朝のテキストのみ言葉によるとイエスは愛をもって人々に接し、そして祈りをもって応答しておられます。本日の聖書の箇所から3つの事を学びます。
@その第1の事は「イエスの愛と憐れみ」です。イエスは人々を見て深い「憐れみ」を覚えたとありますがこれはギリシャ語では「スプランクナ(腸・内臓・はらわたの意味)」と言います。イエスがどれ程人々を愛されたかという時に使われる言葉です。日本語で言うと「断腸の思い」と言う言葉でしょうか。救われるべき民が多くいるというイエスの思いから出た言葉かと思います。痛みを覚え、思わず何かをせずにはおれないという事を意味しています。イエスの愛はそれ程大きな愛でした。私たちもこのイエスの思いで隣人に接しましょう。
A第2の事は「イエスの目を通して人々を見る」と言う事です。み言葉に「飼い主のいない羊」とあります。「無力な者、散らされていく者」と言う意味です。主は私たちを無力で救いの必要な存在と見られています。私たちもそのような目で隣人のために祈らなければなりません。私たちは無力者ですが真の救い主の助けを得て、人々のために働かなければなりません。
B第3の事は私たちはこの世の人に「神様は収穫の神である」という事を伝えなければなりません。神が助けてくださるのですから働き主の良きパ−トナ−としての務めを果たすことが出来ます。 そのようにすると神ご自身が働いて収穫をもたらしてくださいます。私がただ今皆様に幾つかの事例をお伝えしましたようにその事を沢山経験しました。皆さんは収穫の働きをしようという備えがありますか。その為に祈りましょう。
(結論) 「イエスならこの人をどう見ておられるか」「どのように導かれるか」という思いで人々に接する事が大切です。主の収穫に備えるためにまず「主イエスを語り伝えましょう。」「人々のことに耳を傾けましょう。」「霊が私たちに語られることをよく聴きましょう。」今、収穫は多いです。
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