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最新の絵日記ダイジェスト
2016/03/06 信徒礼拝 「考え直す人生」畑中康雄勧士
2015/03/02 「運ぼう、主の恵みを」大嶋博道牧師
2015/01/04 「主は恵みを与えようとして」 イザヤ書30:18〜19 
2014/12/28 「信仰と希望に踏みとどまる」コロサイ1:21〜23 
2014/12/21 「本当の豊かさを求めて」ルカ2:8〜14

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2012/01/29(日) 「さらに深みにこぎ出して」大嶋博道
 教会標語の学び特別礼拝 ルカ5:4

(序 論)
 今日のみ言葉の中心は4〜5節にあります。「話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。
 私たちの信仰生活は日々「恵みの高嶺」を目指す事〜さらに深みにこぎ出す事が求められています。具体的には
@信仰の深み
A霊性の深み
B愛の業の深み
C伝道や証しや奉仕のさらなる深みにこぎ出す事が必要です。

(本 論)
 今日のみ言葉から今年の教会の標語「さらに深みにこぎ出して」を通して次の事を学びます。
(1)人生には時として実を結ばない労苦があります。―仕事もそうです。みなさんは報われなかったと思った事はなかったでしょうか。私たちの人生は本当に充実していたでしょうか。私たちの家庭は、教会はどうだったでしょうか。「夜通し労苦しましたが」という疲労感、失望感はないでしょうか?

(2)さらに深みにこぎ出す事が必要です。―み言葉に「しかし、お言葉ですから網を降ろしてみましょう」とあります。今までに経験した事の無い、常識を越えた「深み」に、未知の世界にこぎ出す事が必要です。大切なのは「主のお言葉」を信じてこぎ出す事です。

(3)次の4つの深みにこぎ出す事です。―
@信仰の深みにこぎ出す事がその第1の事です。み心に沿った行いをし、信仰の深みにこぎ出す事が大切です。

A霊性の深みにこぎ出す事が第2の事です。み言葉と祈り、主のみ心を求める事、そしてさらにへりくだった行いを通して霊性の深みにこぎ出す事が必要です。

B愛の業の深みにこぎ出す事が第3の事です。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして主なる神を愛して自分のように隣人を愛する事が必要です。

C伝道や証、奉仕の業にこぎ出す事が第4の事です。今まで以上に更に勇気を持って、望みを持って、使命感に燃えて伝道し、我が身をもって証をし、時を割いて友人、家族、職場の人々に伝道することです。

(まとめ)
 このようにすると、今日のみ言葉にあるように(ペテロが沢山の魚が捕れたように)豊かな恵みがあるのです。私たちの労苦は必ず報われます!「しかし」お言葉ですから網を降ろしてみましょう。

2012/01/22(日) 「主の恵を持ち運んで」大嶋博道牧師
フレンズ・サンデー礼拝 ヨハネ2:1〜11

(序論)
 本日は、何が突発的に起こるか分からない私たちの未知数の人生に対して語りかけられた主イエスのメッセージです。まず、結論からお伝えします。それは「私たちは神様の豊かな恵みを持ち運びましょう」という事に尽きます。本日のみ言葉によると、
@イエスと弟子たちがカナでの結婚式に招かれました。イエスの母マリアもそこにいました。その婚礼(宴会)の途中に一番大切なブドウ酒がなくなったのです。(当時は宴会が一週間も続くことが慣例)
A母マリアはイエスに「ぶどう酒が切れた」と、告げます。
Bそして母は召使いにこの人(イエス)が何か言いつけたらその通りにしてください、と言います。
Cそこにはユダヤ人が清めに用いる石の水がめ6つ(2〜3メトレス=約100リットル)置いてありました。
Dイエスは召使いに「水がめに水を一杯入れなさい」と言われます。
E召使いが水をかめの縁まで満たすとその水は一瞬にぶどう酒に変わりました。召使い(ディアコノス=給仕役)は、それを汲んで世話役(宴会長)に持ち運びました。そのぶどう酒を世話役が味見をし、花婿に言います。「誰でもはじめに良いぶどう酒を出すものだがあなたは良いぶどう酒を最後までとっておかれた」と。

(本論)
@キリスト教は「水がぶどう酒に変えられる」宗教です。 
 イエスを信じて信仰に生きるキリスト者の生涯は「雨のち曇りのち晴れ(快晴)」なのです。
水がぶどう酒に変えられ、さらに上等のぶどう酒に、そして最後には最高のぶどう酒を飲むことが出来るのです。主は驚くべき奇跡のみわざをなしてくださるのです。

A水を汲んだ召使いだけが奇跡を体験したのです。
 召使いはイエスの命令に従って水がめに水をいっぱい満たしました。主のみことばを聴いて忠実に従う者は、水がぶどう酒に変わる「主の奇跡のみわざ」を体験することが出来るのです。「水を汲んだ召使いたちは知ってた」(ヨハネ2:9)とあるとおりです。

B私たちは主がなされた恵みのみわざを生涯持ち運びましょう
 罪が赦されて滅びから救いへ、悲しみが喜びに、不安が平安に、不平不満が感謝に、失望が希望に変えられたこと(水がぶどう酒に変えられた)を家族や近隣や周囲の人々に持ち運びましょう。

(まとめ)
 イエス・キリストに従う時に、私たちは最高のぶどう酒(恵み)を飲み続けることが出来るのです。
その「恵み」を持ち運ぶ信仰生活を送りたいものです。

2012/01/15(日) 「罪からの解放の秘訣」畑中康雄勧士
信徒礼拝 ローマ3:21〜26
「この世の罪」と「キリスト教の罪」
@世の中でいう罪は「法律を犯す事」を言います。
Aキリスト教も国家の主権を認め、法律を大切にします(法律を守ります)
Bしかしキリスト教は国家の主権の背後に神の主権が存在していると考えています。
Cですからキリスト教は法律に基づく国の秩序を究極的なものとは考えません。
Dそしてキリスト教は心の内に働く良心の命令は法律よりはもっと重要だと考えます。

人間の本質的な罪(原罪)
@キリスト教でいう罪とは法律に背く事ではなくて「神の命令に背く」事です。
Aキリスト教で罪という場合にその代表的な罪に「十戒に背く事」があります。その罪とは「神についての戒め」に関する4つの戒めと「社会生活上での社会倫理」の6つの戒めからなっています。
Bイエスは山上の説教において十戒以上に更に精神的な罪を戒めています。例えば「殺人」という事についてはただ人を殺すという行為だけではなくて「兄弟に腹を立てる者は誰でも裁きを受ける」と罪の本質を深く捉えています。そしてこの教えのマトメとして「神への戒め」を「心を尽くし、精神を尽くして神を愛する」そして「社会倫理に対する戒め」を「隣人を自分のように愛すなさい」としこの2つを守ることによって全うされると教えて
います。
C更にキリスト教では「原罪」について教えています。人は神によって造られたのに神のようになりたいという罪を犯してしまった事によって生まれながらの罪として神から与えられた罪が原罪です。この「原罪」から救われるために私たちに与えられているただ1つの救いの方法が私たちの罪の赦しのために十字架に架かって、私たちの罪を贖ってくださった「イエス・キリストを信じる」という事以外に方法はないとキリスト教では考えています。

罪からの解放の秘訣
今日み言葉のキ−ワ−ドは「キリスト・イエスによる贖いを通して、神の恵みにより無償で義とされる」にあります。即ち、人はただキリストによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるとの約束です。私たちは私たちの贖いのために十字架にかかってくださり「イエスを信じる者を義としてくださる」主に感謝し、罪を懺悔し、信仰の告白をする事が救いを得る、神様に義とされる秘訣なのです。「私が心の中で犯した罪を、私が口(言葉)で犯した罪を、私が行いで犯した罪を」懺悔し、この「私の罪」の贖いのために十字架に架かってくださった主イエス・キリストを日々の生活の中で受け入れ「日常生活の価値判断の基準」とする事が罪からの解放の秘訣なのです

2012/01/08(日) 「あなたのタラントン(賜物)を活用して」大嶋博道牧師
新成人祝福礼拝 マタイ25:14〜30

(序論)
 今日は新成人祝福礼拝を守ります。この日を特に記念して本日のみ言葉を選びました。
マタイによる福音書25章には3つの譬え話があり、「人の子が突然来られた時(再臨)に、私たちはどのように生きてきたかが清算される。そのために常に備えをしておくことが大切」という事を教えるものです。
 そして、今日のみ言葉の中心は21節にあります。かつてオランダの神学者H.クレーマーが「信徒の中にこそ、本当の教会が存在する。教会の本質は信徒である。」といいました。
そして「果たして信徒は教会の中でその賜物を十分生かしているだろうか?
“凍結された資産”として信徒は教会にお客様同然のような存在になっていないか?とクレ−マは問いかけています。皆さんはタラントンを土の中に埋めてはいませんか。

(本論)
 今日は与えられた聖書のみ言葉から次の3つの事を学びます。
@「神は全ての信徒にタラントン(賜物・才能)を与えておられる。」と言う事が第1の事です。自分にはどんな賜物が与えられているのか。「健康や体力が、好ましい人柄が、好感の持てる物腰が、学識が、知識が、他の人への影響力が、そしてこれらに加えてそれぞれの人生の持ち時間が与えられている。」とウエスレ−は言っています。神様が1人1人に託された
賜物は他にもあると思います。(金銭・財・語学・音楽・美術や書道、料理など)それを如何に活用するかが問われています。

A「お互いにタラントンを活用する事が求められている。」という事が第2の事です。賜物を分かち合う事が大切です。預かった賜物を穴を掘って隠してはいませんか。神様は清算のためにいつ帰ってこられるか分からないのです。

B「神様はタラントンを忠実に用いた人を豊かに祝福してくださる。」という事が第3の事です。怠惰な僕にならないで忠実な僕になりたいものです。

(まとめ)
 突然帰って来られた人の子(イエス)から「良い僕だ。良くやった。」と言ってもらえるように、私たちは日々、自分に与えられた賜物を十分に活用したいものです。使命とは命を惜しみなく
使うことです!

2012/01/01(日) 「わたし自身が同行する」大嶋博道牧師
 大人子ども合同元旦礼拝 出エジプト33:12〜17
(序論)
 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
 さて私の今年の祈りの課題は「再起・再生」です。時として思いがけない「想定外の事」が起こるのが人生です。喜びもありますが、悲しみのどん底に落とされる事があるのが人生です。昨年は思いもかけない東日本大震災と原発事故がありました。このような時に私たちは生かされているという意味を問われます。何を根拠に生きているのかと根本的な事が問われます。

 今日のみ言葉はその答えでもあります。み言葉の中心は14節の「わたしが自ら同行し、安心を与える」という箇所です。
 テキストによると、イスラエルの民はモーセに率いられてエジプトを脱出してすぐ荒れ野に入ります。荒野とは命が育たないところ、食べ物や飲み物がなく、死が支配するところです。彼らの関心事は「神が荒れ野の旅に同行してくださるかどうか」でした。モーセが民から離れてホレブの山で神と出会っている時に、不安に駆られたイスラエルの民「金の子牛」の偶像を造りました。それを見た神は怒られました。そして「もうあなたたちとは一緒には行かない」と怒って言われました。その時にモ−セは神に赦しを乞い、神の同行を何度も願い求めたのです。
その結果、17節の「わたしはあなたのこの願いもかなえよう」と言う約束を得ました。

(本論)
 今日はこの事から次の2つの事を学びます。
@神は臨在の神である、ということがその第一の事です。
まさに聖書の神は「インマヌエル・ア−メン」の神です。神は我々と共に在ると言う事です。
主は喜びの時も悲しみの時も、順境の時も逆境の時も共にいてくださるのです。この恵みに与りましょう。

A我々の神は必要を備えてくださる神であるということがその第二の事です。
アブラハムは唯一の息子イサクをモリヤの山に生け贄としてささげましたが、寸前で、神は彼に思いとどまらせました。そして神は本来生け贄としてささげるべき「雄羊」を用意しておられた
のです。私たちの神はアドナイ・イルエ(備えてくださる=見ておられる)の神でなのです。
神は私たちの今と将来をずっと見通しておられ、必要を予め備えていてくださるのです。
そのことを確信して歩んでいきましょう。(創世記22:7)

(まとめ)
 今年1年、皆様にとって祝福された年でありますように願っています。主が常に備えてくださり、最善を成してくださることをお祈りしています。主にあって良い交わりが、ご奉仕が,信仰生活が、家庭生活が続けられますようにお祈り致します。


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