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2012/10/14(日)
「わが魂は神を慕いあえぐ」大嶋博道
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聖日礼拝 詩編42編から (序 論) 今日のメッセ−ジの中心となるみ言葉は三度も繰り返されている詩編42編6節、12節43編5節の「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ、なぜ呻くのか。神を待ちめ。・・・・」です。この詩編は、私たちの信仰が「揺らぐ時」に耳を傾ける、聴くに相応しいみ言葉です。 ここにある「渇く(慕いあえぐ)」とは単に身体的な渇きではなく、魂の強烈な渇き、人間存在の根本的な渇きのことです。鹿が谷川を慕いあえぐのは、水を飲むためだけでなく、鹿自身の体臭を消して外敵から身を守るためと言われています。 このように私たちも神の霊に満たされて渇きが癒されるだけでなく、この世の汚れ、この世の罪を取り除き、サタ−ンの攻撃から実を守るためにも「聖霊の生ける水の川」に浸りたいものです。
(本 論) 私たち人間は渇きを覚えて神に求めるように造られています。ですから私たちは神と向かい合って生きる事が求められています。人は渇き、うなだれ、呻く事が多くあります。み言葉が魂に届かない事が多くあります。時には神を讃美出来ない時があります。神のみ顔を仰げない時があります。 この詩人は魂の故郷エルサレム神殿から遠く離れた異教の地で試練の中に置かれているのでしょうか。 人々から「おまえの神はどこにいるのか」と罵られてうなだれているのでしょう。自らの心の中に、もう一人の自分がそう叫んでいるのかも知れません。
そんな私たちに心を新たにして主なる「神を待ち望め」と今日のみ言葉は教えています。神を待ち望むとは、 @徹底的に神に信頼する事を意味します。 A忍耐をする事を意味します。 B神がなされる最善を期待する事を意味します。 (まとめ) アンドリュー・マーレーの「霊的に衰退する原因は静思の時をなおざりにするからである」との言葉を心に刻み、日々、神のみ心を示していただくために神を待ち望み、主の前に静まりましょう。そうすれば神の前でのみ与えられる聖なる静けさを知る事が出来るようになります。魂の奥底から神を慕い求めましょう。
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