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2012/10/21(日) 「十字架の言葉」東 隆 牧師
特別礼拝 コリント第一1:18〜25

まず、このような愛に溢れた、温かい教会に迎えられたことを感謝します。今日は「十字架の言葉」を中心テーマにお話しさせていただきます。
パウロの手紙の宛先の「コリントは」ギリシャの真ん中に位置し、当時、繁栄していた都会でした。そのコリントにある教会に、パウロは福音のエッセンスは「イエス・キリストの十字架」であることを手紙で書き送っています。
彼は別の手紙で自分のことを「イエス・キリストのしもべ(奴隷)」と紹介して います。それが彼自身の誇りであったからです。私たちもキリストのしもべであることを誇りとしたいと思います。
 
 さて、十字架の言葉は滅んで行く者にとっては愚かですが、信じる者には神の力なのです。これが今朝のメッセージのエッセンスです。
「信じる」というのは神の憐れみであり、恵みです。あの水野源三は不遇な環境の中で神の恵みに触れ、「主の十字架の救い」に与り、後に「まばたきの詩人」として十字架のキリストを証しする者と変えられたのです。
パウロもキリストに出会ってから180度変わり、イエス・キリストの福音を伝える者になりましたが、彼は、この世の知恵を用いてではなく、主の十字架によって罪が赦され、救われた存在であることを宣べ伝えたのです。

 「十字架の言葉」―それはキリストの生涯それ自身であり、贖いと犠牲です。このお方が成し遂げてくださったすべてが「福音」なのです。彼は十字架のキリスト以外のものを知ろうとはせず、他の一切のものを「塵あくた」と見なしたのです。確かに当時、十字架のキリストはユダヤ人にはつまずきであり、異邦人には愚かなものでした。しかし、信じる者には神の力(デュナミス)となったのです。今もそうなのです。

 ルターは「十字架につけられたキリストの中に本当の神の知恵がある」と言っています。パウロは「この宝を土の器の中に持っている」と述べていますが、この宝とは十字架の福音そのものなのです。 私たちは十字架のキリストを宣べ伝える者として、ここから遣わされていきたいものです。
 亀水松太郎は、監獄にて主イエスと出会って牧師となった人です。恩赦により牢獄から外に出たとき、彼は路上で大胆にキリストを証ししたのです。彼をとおして多くの人々が救いに与ったのです。

  主イエスの十字架の贖いは「完成された(成し遂げられた)」もので、これに何ものも付け加える必要はありません。ただ、感謝と信仰さえあればいいのです。私たちはこの十字架のキリストを宣べ伝えて行きたいと思います。


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