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2012/10/07(日)
「試練の向こうに」大嶋博道
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総員礼拝・聖餐式 ヨシュア1:1〜9 (序論) 人生には時として思い通りにならない事が生じたり、試練に遭う事があります。また、毎日のように思い悩んだり心配事があります。人は多くのストレスを抱えて生きています。 心理学者のスコット・ペックは「人生には困難が伴います。問題のない、苦しみのない人生は考えられません」と、述べているとおりです。これらの事を避けては通れないのです。 すでに、2000年前に主イエスは「あなたがたはこの世では悩みがある」(ヨハネ16:33)と、人生には苦難や試練が伴うことを語っておられます。 今日学びますヨシュア記には、モーセの後継者ヨシュアが乗り越えなければならない3つの試練が書かれています。 それは、 @「モ−セの死」(一番信頼していた人の死) A「ヨルダン川を渡る事」(人生で乗り越えなければならない決定的 な出来事) B「イスラエルの人々に与えられようとしている土地に行く事」(そこにはどんな人が住んでいるか分からない土地である事)でした。
(本論) この3つの試練の向こうに何があったのでしょうか。ヨシュアは何を見たのでしょうか。ヨシュアは神の声を聴きました。それは1章3節に「わたしはあなたたちの足の裏が踏む所をすべてあなたたちに与える」という〜イスラエルの民が40年間待ち続けていた約束の地を必ず与えるという神の声でした。しかもそれ には「立ちはだかる者も無く、あなたを見放すことも、見捨てることもない」という神の保証が付いていました。 この確かな約束を、私たちは具体的な試練を乗り越えていく神の約束として受け止めたいと思います。試練の向こうに、ヨシュアには神が与えて下さる「祝福の将来」がありました。 21世紀に生きるあなたにもこのような希望があります。豊かな祝福があります。今日のみ言葉によって、この事を神様は約束していてくださる事を学ぶ事が出来ます。
(まとめ) ロ−マ法王ベネディクト16世は「現代社会には荒野がある。しかし、教会は荒野の中の“オアシス”である。神のいのちがここに躍動している(働いている)」と言いました。この神のいのちを信仰によって受け止めたいと思います。私たちが遭遇する試練の向こうには「希望の明日」があるからです。
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