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2012/11/18(日) 「祝福される金銭の上手な使い方」 大嶋博道
聖日礼拝 テモテ第一6:17〜21

序 論: 
 お金は物々交換手段、貯蔵手段、支払い手段であり、また、お金はコミュニケーションの手段でもあり、しばしば感謝の代用として使われています。
今日、お金は「豊かさ」の代名詞であり、「幸い」の象徴的なものともなっています。お金は使い方しだいで人を幸せにすると共に、限りなく不幸にします。このことをわきまえながら、金銭の上手な使い方、特にキリスト者として“祝福される”金銭の用い方について考えてみましょう。

聖書はお金(富)について何と言ってるか。
 聖書は「お金(富)」の持つ危険性を明らかにしています。
パウロは「金銭の欲は、すべての悪の根」と述べてお金に取り憑かれることの危険性を明らかにしています。イエス様は「お金持ちが神の国に入るよりもらくだが針の穴を通るほうがまだ易しい」(マタイ19:24)と述べて、神の国の対立概念としての「お金の存在」を語っておられます。
しかし、決して富(お金)そのものに悪性や罪性があると言ってるのでないのです。問題はそれらに対する考え方にあり、活用の仕方にあるのです。

J.ウエスレーの金銭に対する考え方
ウエウレーは金銭それ自体を邪悪なものとは考えず、むしろ金銭を“神のすぐれた賜物”と捉えています。
 
本 論:
ウエスレーは金銭に対して3つの原則をもっていました。
@できるだけ稼ぎなさい―彼は稼げるだけ稼ぎなさい、と奨励しています。ただし、彼はこう制限を加えています。
(1)生命を犠牲にしてまでも、また健康を犠牲にしてまでも金銭を稼いではなりません。
(2)さらに、彼は自分の体だけでなく心を損なうことなしに、出来るだけ稼ぐべきです、と述べています。
(3)神の戒めや国の法律に反するような罪悪的な商売に入ることも、継続することもしてはなりません、と語っています。
(4)自分自身と隣人とのたましいと体を傷つけることなく、健康を損なうことなく不断の勤勉さを もって、神があなたに与えられたすべての理解力を用いて出来るだけ稼ぎなさい

Aできるだけ蓄えなさい―出来る限り稼いだら、クリスチャンの良識の第二の原則は
(1)愚かな欲望、すなわち肉の欲、目の欲を満足させるために、豪華で高価な衣服や不必要な装飾品につぎ込んで浪費してはならない。
(2)暮らし向きの自慢を満足させることに過ぎない支出をすべて削り、生きるにしても死ぬにしても、罪のためにも愚かなことのためにも、自分のためにも子どもたちのためにも、何事にも無駄遣いをやめて出来るだけ蓄えなさい。
(3)子どもたちがあなたの財産を投げ捨てるために、みすみすそれを残してはなりません
Bできるだけ与えなさい―持てるものすべてのものを神に捧げなさい。出し惜しみしてはなりません。
神に属するものは10分の一でも、三分の一でも、半分でも、すべて「神に返しなさい」(マタイ22:21)。
もし、金銭を自分のためにか家族のためにか消費することについて疑問が起こるとしたら、静かにじっくりと自問してください。
(1)私は神の財産管理人として行動しているだろうか?
(2)私はみことばに服従しながら、これを行っているだろうか?どの聖書のみことばで主は私にそのように行うことを要求されているのだろうか?
(3)わたしはこの行動を、この消費を、イエス・キリストを通して神への犠牲として捧げることが出来るだろうか?
ウエスレーは神の賜物としての金銭をいかに自分と他の人のために、すなわち神の栄光のために活用するかということに関心がありました。

まとめ:
わたしたちが生きられるのは、命を賜った神が必要な物をすべて備えていて下さるからです。
朝、眠りの床から起き出てから、夜、再び眠りの床に就くまでの間、今日の一日を生きていく上で必要な物は全て神によって備えられるのです。 (出エジプト記16:13〜15参照)
 ですから、わたしたちはまず、命の源であられる神に心を向けることで、「もし神が今日一日わたしに命を与え、生かして下さるのであれば、今日、生きるのに必要な全ての物は、神が与えて下さるであろう」と信じて生きることができます。祝福をお祈り致します。


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