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2012/02/26(日)
「7の70倍の愛」 畑中康雄勧士
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信徒礼拝 マタイ18:21〜22,26:47〜80 (はじめに) レントを迎えて「神様の愛」について学びましょう。 まず、イスカリオテのユダについて、 @ユダは予め裏切りの罪を犯すように定められていたのか? Aイエスはユダが裏切る事を知っておられて選ばれたのか? B神様はユダの裏切りを止める事が出来なかったのか? Cユダは救われる事はないのか? Dイエスを3度までも知らないと言ったペテロとユダの犯し た裏切りの罪は何処が違うのか? という5つの疑問を持って昨年と一昨年のレント期間の礼拝でこの事について学びましたので本日は詳しくは触れないでおきます。
(本論) 神の大きな愛の中にある安らぎ @私たちも何時いかなる時にどんな罪を犯す事があるか分かりません。その時に神様の大きな愛が私たちに及ぶと考える時に、私たちはどれほど心が安らぐでしょうか。罪を犯した時には悔い改めと神様の赦しを乞えば赦されると思う時に私たちは大きな安らぎを得る事が出来るのです。キリスト教は「愛と赦し」の宗教なのです。
A原罪という罪のもとにある私たちは、イエスの十字架上での「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)との究極の愛の言葉、そして「兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。7回までですか」という問いかけに対して「7の70倍まで赦しなさい」(マタイ18:21)と言われる神の愛が私たち罪人を救ってくださるイエス・キリストの大きな愛なのです。
B私たちの心の内には必ず「ユダ」が住んでいるという事を私は自覚しています。イエスを主として受け入れる告白をしても「原罪」のもとに生まれて来た人間の心には必ずユダが潜んでいるのです。ですから罪を犯さずには生きられない私たちは罪を犯してしまったと気づいた時には「7の70倍まで赦す」(完全な赦しの上にさらに完全に=「無限に」の意味)と言ってくださる神様に赦しを乞い、日々、赦された確信をもって新たにされて歩みたいと思います。
(まとめ) そのように思い、懺悔をし、祈る時に神様は私たちを赦してくださり「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなた方の立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになる」(マタイ5:16)ように私たちを用いてくださるのではないかと思います。日々主に赦しを乞いながら主に従って歩みたいと思います。
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