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2012/02/12(日)
「神の賞与を求めて」大嶋博道牧師
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聖日礼拝・聖餐式 フィリピ3:12〜16 (序論) 信仰は決して付属品や装飾品ではなく、また自分の思い通りに処理出来る所有物ではありません。信仰とは私たちの現実であり、私たちが生きているように、信仰も生きているのです。 では、神様が私たちに与えてくださる「賞与(ブラベイオン)」を得るためにどのような信仰生活〜生き方をしたら良いのか、という事について学びたいと思います。 今日の中心となるみ言葉は13〜14節です。 パウロは3章12〜13節で自分の信仰を述べています。即ち「まだそれを得ておらず」「完全な者ともなっておらず」「何とか捉えられようと努めている」と言っています。「それ」とは、キリストを知る知識であり、キリストの復活のいのちであり、神の賞与であります。 神の賞与は「ご褒美」「朽ちない冠」とも訳せます。
(本論) ではどのようにしたら神からの賞与(ブラベイオン)を得る事が出来るのでしょうか。 (参照み言葉:@コリント9章24〜25節) (1)その第1の事は「後ろのものを忘れ」るという事です。それは過去に執着しないという事です。私たちは過去にこだわります。しかし、神の賞与を得るためには過去へのこだわり、未練を持たない事です。塩の柱になったロトの妻のよう後ろを振り向かないこと。 私たちは賞をえるために、重荷やからみつく罪をかなぐり捨てて忍耐強く走り抜きたいものです。
(2)第2の事は「前のもの、前に向かってひたすら前進する」事です。 前に向かってばく進すること。一途に全身を傾けて走ること。それは具体的に、 @聖書のみ言葉に聞き続けると言う事が大切な事なのです。 A「日曜毎の礼拝を通して霊性を深め、さらに深みに漕ぎ出す事です。 Bまた「日々の祈りの中で神のみ心を探る」事です。 Cそして忍耐を以て前進する事が大切です。 D主イエス・キリストから目を離さない生活をする事です。
(まとめ) このような信仰生活をとおして、私たちは神様から「朽ちない賞与(ブラベイオン=良きもの)を得る事が出来るのです。日々、このすばらしい祝福を期待して歩みましょう。
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