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2012/02/19(日)
「キリストの形が成るまで」大嶋博道牧師
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聖日礼拝 ガラテヤ4:19〜20 (序 論) 「私たちの信仰生活の内にキリストが形づくられる事」これが今日のメッセ−ジの主題です。それはルターが言うように、私たち1人1人が「小さなキリスト」となる事です。それは、具体的にはキリストを担う、キリストの器として証しをする者として用いられる事を言います。 パウロはガラテヤの教会に「私たちは信仰のみによって救われる」と教えて伝道しました、その信仰が正しく受け継がれていませんでした。(パウロが去ったあと偽教師が間違った教えを伝えた。)ですから、ガラテヤ書はパウロが感情的に(怒りをもって)書いています。 (例えば1章6〜7節/3章1節) それはあなたがたの信仰は何処に行ってしまったのか、キリストの形が崩れてしまったと言う怒りです。ですから19節にあるように「もう一度あなたがたを産もうとして苦しんでいる」とパウロは手紙に書いています。 (本 論) キリストが信徒たちの内に形づくられるという事をパウロは願っています。信仰生活にキリストが刻み込まれるようにと願っているのです。私たちクリスチャンの生活には、内面的なものと共に外面的にもキリストが形づくられることが必要なのです。具体的には、 @キリストの十字架の死と復活により私たちの内側に永遠の命の確信が与えられる事が第1の事です。(2章20節)
Aその事によって私たちの魂に平安が与えられ、日々希望と喜びと感謝の生活がなされていく事が第2のことです。(Tテサロニケ5章16〜17節) クリスチャンはどんな状況に立たされても、魂に平安が与えられ、明日への希望を失わないで生きることが出来るのです。 B伝道や愛の生活、証しや奉仕の生活をする事が第三の事です。
(まとめ) 私たちの内に喜びや感謝や平安や希望がないならば、キリストを形づくることはできません。 内面にあるものが、外にあふれ出て、キリストの形を形成するのです。私たちは「土の器」に過ぎませんが、その中にキリストという偉大な「宝」を有しているのです。ですから決して、行き詰まったり、途方に暮れたりすることはないのです。
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