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2012/03/25(日)
「自分の行程を走り終えて」大嶋博道牧師
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年度末感謝礼拝 使徒言行録20:17〜24 (序論) 私は2008年2月の教団総会において教団理事長に選ばれて今日までの4年間その重責を担って来ました。そして4月からは京都西教会を兼牧する事になります。この4年間のお祈りとお支えを感謝すると共にこれから始まる兼牧の上にもお祈りくださいますようにお願いします。 20章24節が今日のメッセ−ジの中心となるみ言葉です。そして私の今の心境を表しているみ言葉です。目標に向かって前進する、目標を達成するために「生き切る」事は大切な事です。(日野原重明先生の96歳の時の言葉)
伝道者パウロはイエス・キリストを信じるようになってから「わたしにとって生きるとはキリストである、死ぬことは利益です」という確信のある「人生観」を抱いていました。 (本論) パウロはキリストを迫害している時にキリストに捉えられて伝道者になりました。今日のみ言葉はパウロがエフェソの長老たちに「パウロがどういう生き方をしてきたか」という事と「残された自分の人生をどう生きて、どんな心構えで人生を締めくくるか」という事を語っている書簡です。
(1)まずパウロがどんな生き方をして来たかという事では @謙遜の限り生きてきた、自分を取るに足らない者として主に仕えて生きた来たと言っています。そして次に
A涙を流しながら(19節)主に仕えて来たと言っています。それはキリストゆえの忍耐の涙、憐れみの涙でした。次に
B自分の身にふりかかってきた試練に遭いながらただ、ただ主に仕えて来たと言っています。
(2)次にこれからの人生をどう生きるかという事では、それは自分の決められた人生を、決められた道(行程)を走り通す(24節)という生き方をすると言っています。神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすという生き方が出来れば自分の命すら決して惜しいとは思わない(命を計算しない)という生き方をしたいと言っています。
(まとめ) パウロが語っているような生き方、即ち私たちの命を、人生のすべてを、神に全く委ねて生きる生き方をしたいものと思います。
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