|
2012/03/11(日)
「偽造の神(Counterfeit God)」 滝谷良一牧師
|
|
|
特別礼拝 出エジプト20:1〜6,ローマ1:24〜25 (序論) 「あなたがたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。あなたがたはいかなる像も造ってはならない」と出エジプト20章3〜4節にあります。 この言葉は私たちに関係の無い言葉ではありません。この言葉は全人類に命じられた神の言葉なのです。私たちは私たちが気づいていない隠れた神がある事を知るべきです。
(本論) 私たちは「多くの契約に与り、多くの奇跡を経験して来たにも拘わらずモ−セの十戒を守らず、偶像礼拝に走ってしまったイスラエルの民の過ち」から学ばなければなりません。彼らは聖書が語る唯一の神が天地創造の神である事を、自然界を支配される神である事を知らなかったのです。 イスラエルの民がカナンの地に入った瞬間に「バアルの神」に走ったのは彼らの生活を守るためでした。私たちはこのイスラエルの民を非難する事は出来ません。それは私たちも自分の生活や自分の価値観の中に教会や礼拝よりも大切にしている物を沢山持っているからです。 偽造の神とは「神よりも大切なもの、神よりは私の心を支配するもの、神が与えられるものを除こうとす心、私たちの人生の中心を占めそれを失うと生きてはいけないと思うもの、私たちの心を支配して私たちが他の事を忘れてその事にエネルギ−と情熱を注ぎ経済を費やす事を厭わないもの」が即ち偽造の神なのです。私たちは心の内でそのような偽造の神に仕えている事に気づくべきです。 その偽造の神とは 例えば「家族や子ども、職業とか金儲け、人生での成功、名誉、社会的な地位」などです。そしてそれは私たちが気づかない、気づいていないという事も併せて学ぶべき大切な事柄です。私自身がその偽造の神を持っている事に気づいて愕然となりました。
(まとめ) しかし神はこのようなイスラエルの民を見捨てられませんでした。顧みられました。 私たちもこの神の憐れみを学び、私たちの聖霊の神に心から悔い改めて私たちの罪のために十字架上で贖ってくださった神に気づき私たちが犯した罪を懺悔して神の憐れみによって生かされ続けたいと思います。私たちの神は赦しの神なのですから。
|
|
|