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2012/03/05(月)
「湖をわたる教会」〜嵐の中を共に歩まれるお方 大嶋博道牧師
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総員礼拝・聖餐式 マタイ14:22〜33 (序 論) 教会は「船」に例えられます。それは一つの目標を目指す船路です。新聖歌248番の「人生の海の嵐」にあるように、私たちの人生の海はしばしば「嵐」が吹き荒れて漕ぎ悩むことがあります。どのようにして「向こう岸」に漕ぎ出し、渡って行けばいいのでしょうか?
今日の聖書の物語によると、 @イエスは群衆を解散され、祈るために山に登られました。 A弟子たちの乗った舟は陸から数キロのところで逆風に遭います。 B夜が明けるころ、イエスは湖を歩いて弟子に近づかれました。 Cそれを見た弟子は「幽霊」かと思い、恐怖のあまり叫び声を上げました。 Dイエスは「安心しなさい。私だ」と、言われました。 Eペテロは水の上を歩いてイエスのところに行こうとしましたが、風と波を見て 沈みかけます。 Fそして、イエスが舟に乗り込まれると嵐は静まりました。 教会はこの世の嵐とは無関係に歩んでいるのではありません。教会もキリスト者も「逆風」に遭ってこぎ悩むことがあるのです。神はこのような試練の中で、私たちに「お前は何者なのか?」と問いかけておられるのです。 (本 論) さて、この世の嵐の中で漕ぎ悩む私たちはどのようにして平安を得ることが出来るのでしょうか。今日のテキストから学びましょう。 @主は私たちのために夜を徹して祈っていてくださいます。 主イエスは祈るために山に登られました。主が私たちのために祈っておられる、そこに救いがあるのです。「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。」 (ルカ22:32)とあるとおりです。 Aイエスは嵐のまっただ中にいる私たちに臨在していてくださるのです。 救いとはキリストの臨在に生きることです。主は十字架の贖いによって私たちの罪を赦し、日々、私たちと共に歩んで下さる、ここに真の救いがあるのです。 B主は嵐を静めてくだるお方なのです。 主は「静まれ、黙れ」と言って嵐と波を静めて下さいます。すばらしい奇跡のみ業を行われる偉大なお方です。この事を信じて生きる時に救いが与えられるのです。 (まとめ) 嵐を静めるお方はイエスです。この事を心に留めておきたいと思います。私たちの教会は今、湖に浮かんでいます。そして、私たちは「向こう岸」に渡りつつあるのです。主が共におられる のですから、勇気をもってこぎ出しましょう。 「呼吸するたびに霊の息が私の外へ出て行く時には、私の「同伴者キリスト」となってくださる のです。そして外から内に息が入る時には「内住のキリスト」となられるのです。(畑野忍先生)
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