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2012/04/29(日)
「今の時をどう生きるか」大嶋博道
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フレンズサンデー礼拝 コヘレト3:1〜11 (はじめに) 私は「時」という言葉に深い関心があります。今朝のテ−マはこの「時」をどう生きるか、という事にありますが、「時」に関して幾つかの基本的な前提を述べて共通の理解をしておきたいと思います。 @「時」は全ての人に平等に与えられているという事 A「時」には限界があるという事。決して永遠ではない。 B「時」は常に変化しているという事(実は、変化しているのは時という制限の中で生きてる私なのです。) C「時」は用い方によってチャンス(好都合)にもアクシデント(不都合=事故・事件)にもなるという事 D「時」を支配しておられるのは神様である事 詩編31編15節には「私の時は神のみ手の中にある」 (My times are in Your Hands.)とあります。時ほど不思議なものはなく、時は自分で自由にコントロ−ル出来ないものなのです。人は自分が生まれる時や死ぬ時を自分で定めることが出来ないのです。自分のことに関わる大切なことではありますが、自分で決めることさえ出来ないのです。「時」は誰もコントロ−ル(支配)出来ません。
(本論) 今日のみ言葉の中心は11節にあります。全ての事には最も相応しい時宜(season)があり、全て神のなさるわざは、その時にかなって美しい(ヤーフェー)のです。今朝のみ言葉から次の2つの事を学びましょう。
@私たちの生活には神が予め定められたカイロスの時があるという事が第1の事です。出来事には偶然はありません。人間の偶然は、実は神の必然です。神が定められた必然の時があるのです。前述のとおり、私たちの「時」は神のみ手に握られていることを知らなければなりません。(詩編31・15〜16節/特に口語訳が分かりやすい)
A神は全てをその時に適って美しく装ってくださるという事が第2の事です。神の目から見て一番ふさわしいと思われる事を神様は私たちに備えてくださるのです。私たちにとっては理不尽な苦難や試練や不幸であっても、その背後には最善を成してくださる神のみ手が働いており、それらをとおして、私たちの人生を意味あるもの、有意義なものに変えて下さるのです。
(まとめ) 「何事をなすにも時があります。時は人間を超えた大自然の力なのです。暖かくならなければ桜は咲きません。そして冬が来れば春は近いのです。そして桜は静かに、しかし確実に春の到来を待つ」と、松下幸之助氏は言っています。
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