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最新の絵日記ダイジェスト
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2012/05/27(日) 「つづく祈り」東 隆 牧師(教団巡回教師)
ペンテコステ特別礼拝 エフェソ3:14〜21
(はじめに)
 今まで御教会をお訪ねする機会は何度もあったのですが、礼拝を共に守る機会は無かったと思います。本日、初めて神戸ひよどり台教会で礼拝のご奉仕をさせていただけますことを心より感謝致します。今日は「ペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝」を共に守りましょう。
 
さて、エフェソ3章を見ると、パウロは教会のために祈っていますが、それは実は私たちのための祈りなのです。み霊に満たされている者には平安があります。元は闇の中に居た私たちがキリストの栄光の内に、希望の光の内に招き入れられたのです。「信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせてくださる」と、み言葉にありますように主が私たちの内に居てくださる事に感謝します

(本論)
私たちはキリストによって神様と結ばれています。神様が私たちを救い出して神の愛の内に入れてくださるのです。そして内なる人を強めてくださるのです。ですから私たちはこの礼拝が終わったらキリストの愛を伝えるために教会から出て行かねばなりません。良き音信(福音)を伝える者とならねばなりません。
 キリストの赦しを得て、新しく造り変えてくださった神様の御愛を伝えるために教会から出かけて行くのです。パウロはこのキリストを信じる者を捉えるために働いています。
かってキリスト者を迫害していたパウロですが、神様は彼を捉えられたのです。主のためにパウロは働くようになりました。そして大いなる伝道者となりました。 
祈りに、さらにつづく祈りに支えられての働きでした。祈りにつづく祈りによって支えられた伝道生活でした。神様は時と所を超えて私たちを愛してくださいます。私たちの内に働いてくださいます。主は栄光への望みです。キリストを、福音を私たちの内に備えてくださいます。

(結論)
 私たちはどこから救われたのか、それは「罪」ゆえの永遠の滅びからです。そして、私たちはどこへ向かって行くのか、それは天のみ国へです。かつて、私は人を憎んでいました。心の内にある憎しみは他人が取り除くことは出来ないのです。イエス・キリストの十字架を仰ぐ時にこの憎しみは取り除かれ、心に真の平安と慰めが与えられるのです。
私たちの醜い心の罪を全てを包み、取り除いて潔めてくださるのがイエス・キリストの愛です。ペンテコステとはそのような惠みと感謝と祈りの時なのです。祈りつづけましょう。    

2012/05/20(日) 「わたしの心であるオネシモ」大嶋博道牧師
聖日礼拝 フィレモンへの手紙1:8〜20
(序論)
 今朝は人生の中でどちらかと言えば好きでない人、重荷になる人でも見捨てず主にあって主にあってわが心となるような人間関係を結ぶ事の大切さを学びます。自分が会いたくない人はその相手の人からみても私と会いたくないと思っている事でしょう。その人との人間関係をどうするか、が今朝のメッセージのテ−マてです。
 フィレモンにとってオネシモはそのような存在の人だったでしょう。フィレモンの奴隷のオネシモは主人であるフィレモンに金銭的な損害を与え、逃亡した男でした。おそらく、彼はローマにまで逃亡し、そこで主の導きにより、彼はパウロに出会います。彼はパウロをとおしてイエス・キリストの福音を信じるようになり、やがて、彼は救われ、新しく造りかえられたのです。

(本論)
 そのオネシモを10〜12節にあるようにパウロはフィレモンの元に送り返すことを決意します。ここで聖書は「あなたならどうしますか?」と私たちに問いかけています。聖書には書かれてはいないのですが、恐らくはオネシモはその後、主人の元に帰る事が出来たのではないでしょうか。そして、彼は後にパウロの協力者になり、教会で忠実に奉仕する者になったのです。コロサイ4:9がそのことを紹介しています。
 本日のテキストをとおして、パウロのフィレモンに対する態度がいかに配慮があり、誠に愛に満ちた思いやりの十分な態度をしているかということを学びたいと思います。

(結論)
 人間関係を回復するために必要な事をみ言葉、パウロの取った行動から次の3点を学びたいと思います。
@愛に基づいてお願いして(8〜10節)上から目線で命令するのではなくて丁寧にお願いするという事が第1の事です。
A自分の願いを具体的に説明する。しかもオネシモの近況を丁寧に説明し、そしてオネシモを一度主人に返して自由な立場にするための手順を踏んでいる事が第2の事です。
Bオネシモの負債をパウロ自身が支払うと言っています。ここまでの配慮をするという事が第3の事です。この事が人間関係を回復する手順として大切であるという事を学びたいと思います。    
私たちも自らの心に潜むオネシモを「わたしの心(スプランクナ=腸)」と言えるほど、新しく造り変えられたいものです。祝福をお祈り致します。  

2012/05/13(日) 「わたしはあなたを忘れない」大嶋博道牧師
母の日記念礼拝 イザヤ49:14〜15

序 論
 今朝は「母の日記念礼拝」を守ります。お母様方の上に、またすべての女性の上に神の豊かな祝福がありますようにお祈り致します。
 先ず、神がイスエラエルの民をどのように愛されたのかを聖書から見ておきましょう。幾つか引用致します。
@申命記7章6〜7節では「神の宝の民」と題して貧弱な民を愛されたのは母なる姿を有した神であった事
Aホセア記11章3〜4節には、特に4節には“母なる神”の姿が書かれています。
そして
Bイザヤ書46章3〜4節にも母なる神の姿が書かれています。このように聖書には「母性的な神」の姿があちこちに書かれています。

本 論
イザヤ49:14には「シオン(イスラエルの別名)」が登場します。イスラエルは過去において外国の侵略に遭い、国を奪われ「捕囚の民」として外国に連行されるという試練の歴史があります。彼らは神の見捨てられ、忘れられた存在という気持ちを強く抱いたのす。
 私たちも日常生活の中で無視されたり見捨てられるという事は辛い事です。それは「存在の否定」を意味するからです。そこには悲しみがあり、痛みがあります。しかし、イザヤはこの箇所で、打ちひしがれている民に向かって力強く神の約束を預言致します。

(1)一つは15節で、「女は我が子を忘れる事はない」「たとえ女があなたを忘れても神はあなたを忘れない」(5節)とあります。神の愛は、最も偉大な母親の愛よりもなお偉大であるというのです。
(2)そして16節で、「わたしの手のひらにあなたを刻みつける」とあります。ここでは神の特徴が擬人法で記されています。「手のひら(たなごころ)」は、最も目に付くところで、そこに、神は私たち一人一人の存在を刻み込んで(CARVE)おられるというのです。ここにも神の愛が表されており、神がいかに私たちのことを覚えておられるか、ということが強調されています。

 ではこれに応えるために私たちはどのように生きれば良いのでしょうか。それは次の3つの事が言えます。
@私たちが平安をもって生きる事が第一の事です。心に神の平安を持って生きる事が母の愛に優るほどの愛をもって私たちを愛してくださる神様に応える第一の生き方です。
Aそして、私たちが「神はどんな時にも私と共にいてくださる事」を確信し、信じて生きる事がその第二の事です。
Bさらに第三番目の事は、今日の煩いを捨てて、神に全てを委ねて生きる生き方をするという事です。それはみ言葉に導かれ、み言葉にコントロールされて日々を生きる事を意味します。

まとめ
 私たちを産み育てて下さった母に、そしてその母を愛しておられる神様に心から感謝し、「ありがとう」を素直に言いたいものです。母の日に際し、母の愛をそしてその母を超える大きな愛で私たちを愛してくださる神様に感謝しましょう。

2012/05/06(日) 「信仰の視点〜どちらを見るか」大嶋博道牧師
総員礼拝 民数記13:17〜33

(序 論)
 私たちの信仰の視点〜立ち位置についてみ言葉を通して学びます。
聖書によるとモ−セはカナンの土地を調べさせます。それは次の事を偵察するためでした。
 @自分たちが住むことになる住民は強いのか、弱いのか。
 Aその町はどんな町なのか。
 Bその土地はどんな土地なのか。
そして、偵察に行った人たちは
 @その土地は乳と密があふれ、潤っていた事
 A人々は沢山おり、その人々は大きかった事
 B町は堅固な城壁に囲まれている事
を報告しました。これが客観的な事実でした。しかし同じ事実を見た人たちの中には違うように感じた人たちがいました。
偵察に行った12人の内の10名は「そこは我々を食い尽くしてしまうような巨人が住んでいる町」と感じました。しかし2名(ヨシュアとカレブ)は自分たちは上って行き、占領出来る土地であると感じました。同じものを見てもこのように正反対の感じ方をしたのです。


(本 論)
 モ−セは否定的な10人の意見を取り入れてその町に攻め上る事をしなかったので神はモ−セを罰してその時から40年間荒野をさまよわせられました。
 私たちが人生の岐路に立った時にどのようにしたら良いのかと言う答えが14章7節以下にあります。即ち
@神の約束に立つ〜み心に従う信仰を持つ事が第1の事です。(14章8節)この出来事の背景にある神のみ心(神の聖なるご計画)はどこにあるのかを探り、知り、それに従う事が大切です。
A先取りの信仰(まだ見ていない出来事を必ずそのようになると信じる信仰)を持つ事が大切な第2の事です。明日を確信する信仰です。明日を待ち望む信仰です。信仰とは明日(未来)を期待し、待ち望む力です。
B神が共にいてくださると言う信仰(14章9節)〜「臨在の信仰」が第3の事です。信仰を通して主イエス・キリストが一番良く見える位置に目を置く事が大切です。神はどのような状況に
おいても共におられます。

(まとめ)
 ヨシュアとカレブの2人は約束の地に入る事が出来ました
ヨシュア記14章6〜13節にはその後のカレブのことが記されています。(カレブは約束の地で祝福されて85才にしてなお健やかであり、戦いも日常の努めも出来ると語られています)これが主の約束を信じた45年後の姿でした。主のみ言葉に堅く立ち、勝利の前進をする者のみが主の祝福に与ることができるのです。


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