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2012/05/13(日)
「わたしはあなたを忘れない」大嶋博道牧師
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母の日記念礼拝 イザヤ49:14〜15 序 論 今朝は「母の日記念礼拝」を守ります。お母様方の上に、またすべての女性の上に神の豊かな祝福がありますようにお祈り致します。 先ず、神がイスエラエルの民をどのように愛されたのかを聖書から見ておきましょう。幾つか引用致します。 @申命記7章6〜7節では「神の宝の民」と題して貧弱な民を愛されたのは母なる姿を有した神であった事 Aホセア記11章3〜4節には、特に4節には“母なる神”の姿が書かれています。 そして Bイザヤ書46章3〜4節にも母なる神の姿が書かれています。このように聖書には「母性的な神」の姿があちこちに書かれています。
本 論 イザヤ49:14には「シオン(イスラエルの別名)」が登場します。イスラエルは過去において外国の侵略に遭い、国を奪われ「捕囚の民」として外国に連行されるという試練の歴史があります。彼らは神の見捨てられ、忘れられた存在という気持ちを強く抱いたのす。 私たちも日常生活の中で無視されたり見捨てられるという事は辛い事です。それは「存在の否定」を意味するからです。そこには悲しみがあり、痛みがあります。しかし、イザヤはこの箇所で、打ちひしがれている民に向かって力強く神の約束を預言致します。
(1)一つは15節で、「女は我が子を忘れる事はない」「たとえ女があなたを忘れても神はあなたを忘れない」(5節)とあります。神の愛は、最も偉大な母親の愛よりもなお偉大であるというのです。 (2)そして16節で、「わたしの手のひらにあなたを刻みつける」とあります。ここでは神の特徴が擬人法で記されています。「手のひら(たなごころ)」は、最も目に付くところで、そこに、神は私たち一人一人の存在を刻み込んで(CARVE)おられるというのです。ここにも神の愛が表されており、神がいかに私たちのことを覚えておられるか、ということが強調されています。
ではこれに応えるために私たちはどのように生きれば良いのでしょうか。それは次の3つの事が言えます。 @私たちが平安をもって生きる事が第一の事です。心に神の平安を持って生きる事が母の愛に優るほどの愛をもって私たちを愛してくださる神様に応える第一の生き方です。 Aそして、私たちが「神はどんな時にも私と共にいてくださる事」を確信し、信じて生きる事がその第二の事です。 Bさらに第三番目の事は、今日の煩いを捨てて、神に全てを委ねて生きる生き方をするという事です。それはみ言葉に導かれ、み言葉にコントロールされて日々を生きる事を意味します。
まとめ 私たちを産み育てて下さった母に、そしてその母を愛しておられる神様に心から感謝し、「ありがとう」を素直に言いたいものです。母の日に際し、母の愛をそしてその母を超える大きな愛で私たちを愛してくださる神様に感謝しましょう。
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