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2012/05/20(日)
「わたしの心であるオネシモ」大嶋博道牧師
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聖日礼拝 フィレモンへの手紙1:8〜20 (序論) 今朝は人生の中でどちらかと言えば好きでない人、重荷になる人でも見捨てず主にあって主にあってわが心となるような人間関係を結ぶ事の大切さを学びます。自分が会いたくない人はその相手の人からみても私と会いたくないと思っている事でしょう。その人との人間関係をどうするか、が今朝のメッセージのテ−マてです。 フィレモンにとってオネシモはそのような存在の人だったでしょう。フィレモンの奴隷のオネシモは主人であるフィレモンに金銭的な損害を与え、逃亡した男でした。おそらく、彼はローマにまで逃亡し、そこで主の導きにより、彼はパウロに出会います。彼はパウロをとおしてイエス・キリストの福音を信じるようになり、やがて、彼は救われ、新しく造りかえられたのです。
(本論) そのオネシモを10〜12節にあるようにパウロはフィレモンの元に送り返すことを決意します。ここで聖書は「あなたならどうしますか?」と私たちに問いかけています。聖書には書かれてはいないのですが、恐らくはオネシモはその後、主人の元に帰る事が出来たのではないでしょうか。そして、彼は後にパウロの協力者になり、教会で忠実に奉仕する者になったのです。コロサイ4:9がそのことを紹介しています。 本日のテキストをとおして、パウロのフィレモンに対する態度がいかに配慮があり、誠に愛に満ちた思いやりの十分な態度をしているかということを学びたいと思います。
(結論) 人間関係を回復するために必要な事をみ言葉、パウロの取った行動から次の3点を学びたいと思います。 @愛に基づいてお願いして(8〜10節)上から目線で命令するのではなくて丁寧にお願いするという事が第1の事です。 A自分の願いを具体的に説明する。しかもオネシモの近況を丁寧に説明し、そしてオネシモを一度主人に返して自由な立場にするための手順を踏んでいる事が第2の事です。 Bオネシモの負債をパウロ自身が支払うと言っています。ここまでの配慮をするという事が第3の事です。この事が人間関係を回復する手順として大切であるという事を学びたいと思います。 私たちも自らの心に潜むオネシモを「わたしの心(スプランクナ=腸)」と言えるほど、新しく造り変えられたいものです。祝福をお祈り致します。
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