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2012/07/22(日) 「あなたの荷を主に委ねよ」大嶋博道
フレンズサンデー礼拝 マタイ11:25〜29

序 論:
二つの前提をお伝えします。
@イエス・キリストは、私たちの人生の重荷を引き受けて下さる主である。(11:28)
Aイエス・キリストは、私たちと共に人生を歩み、導いて下さる主である。( 11:29〜30)
 今朝のテキストは、マタイだけが言及した「聖書中、最も美しい招き」と言われる箇所です。
まず、私たちの「重荷」とは何なのかを考えましょう。
 徳川家康は「人の一生は重き荷を負うて遠き路を行くが如し」と言っています。天下を取った彼の心には絶えざる重荷があり、平安がなかったことを示しています。300年前の徳川家康だけでなく、多忙で、煩雑な現代を生きる私たちにも、たくさんの重荷があります。
(1)経済的重荷(2)家族の諸問題の重荷(3))社会的な重荷、特に(4)人間の根本的な重荷としての「罪」、さらに使命や責任などもすべて私たちの重荷と言えるものです。

本 論:
 さて、二つの前提を本論で取り扱いたいと思います。
(1)私たちには「重荷を引き受けてくださるお方がある」ということ。  
「疲れた者(労苦している者)」と「背負いきれない荷を世話されている者」が、イエス・キリストに招かれています。「あなたの疲労困憊を休ませてあげよう」と。
このような呼びかけは聖書の何カ所かに出て来ます
@詩編55:23Aイザヤ55:1B詩編37:4Cペトロ第一5:7
注目すべきこと
※疲れた者や重荷を負う者を招かれるお方は、「重荷をすべて取り除いてあげよう」とは言ってません。 「休ませてあげよう」「支えて下さる」「願いをかなえてくださる」「心にかけてくださる」と記されています。
私たちの労苦(疲れ)や背負いきれない重荷を知っていて下さる。心にかけていてくださる、共に心配し、支えて下さる、ということなのです。

(2)主は共に人生を歩み、導いてくださるお方である。
 大事なことは、招いて下さったお方は、労苦し、重荷を負って生活している私たちに休息を与えて下さること。そして、イエスの元にやって来た者だけが、どうでもいいような重荷から解放され、真に背負うべき重荷をイエスと共に担うことが出来るということです。(イエスは私たちと軛を共にしてくださる。)私たちが背負っている重荷をイエス・キリストと共に背負うときに、「魂に平安が与えられ」「たちの背負っている荷物が軽くなる」ということなのです。

まとめ:
「あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」(イザヤ46:3〜4)
マーガレット・F・パワーズの「Foot Pronts」を読んでまとめと致します。


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