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2012/08/26(日)
「思い煩いから平安の人生へ」大嶋博道牧師
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フレンズ・サンデー礼拝 フィリピ4:6〜8 序 論: 私たちは、日常生活のこと、健康のこと、対人関係、現在と将来に関する事柄、さらに、大きくは世界の情勢、地球規模の問題など、多種多様の思い煩いの中に生きています。 「思い煩い」を意味するギリシャ語「メリムナ」は「心が分割していること、心が二つに分かれてしまっている状態」を指しています。 なぜ、思い煩うのか?―思い煩いの原因を探る @自分の未来はこうなると自分勝手に決めつけてしまうから。 A物事を悲観的に考えすぎるから。 Bいろいろなものを持ちすぎているから。 C人間存在の本質は「弱さ」すなわち「欠けだらけで有限な存在」であることを認めないから。 D自分の人生を神に委ねて生きる「信仰」を持たないから。 ジョン・ウエスレーは「この思い煩いは、痛みを伴う病い、魂の悲しい疾患であるだけでなく、神に対する忌むべき違反、最もたちの悪い罪です。」と述べています。 本 論: 日々、思い煩いの中に生きる私たちに、聖書は「思い煩わなくていい」「すべてを神のみ手にゆだねなさい。神が最善に導いて下さる」と告げています。幾つかの聖書の箇所を引用して 紹介しましょう。 @ルカ12:22〜29(イエスのことば) Aペトロ第一5:7 Bフィリピ4:6(今朝のテキスト)
では、思い煩わなくて良いという根拠は何なのか? (1)神が養い、装ってくださるから。(ルカ12:24,28)→神の配慮! (2)神が私たちのことを心にかけていて下さるから(ペトロ第一5:7) (3)神はどんなことでも最善に導かれるから
だから、私たちに求められていることは? @何事でも神に訴えるということ(フィリピ4:6) 祈りというのは、信頼をもっての神への全面的な委任であります。 A神から与えられる平安によって、人生に立ち向かうこと 祈ったあとも私たちを取り巻く現実は、祈る前と同じようなものであるかも知れません。いや、事態はもっと深刻になっているかも知れません。しかし、それにもかかわらず、もう神に任せたのだから、神が必ず何とかしてくださる、そういう平安が私たちに神から送られてくるのです。 Bただ、神の国を求めること 神のみこころを優先して生活する。信仰に一途に生きるということでしょうか。 まとめ: ジョンウエスレーは「遠い将来に何をしようなどと、思い悩んではなりません。そのような遠い将来は、来ないかもしれません。また、あなたの関心事でなくなっているかも知れません。・・・ あなたはその日その日の存在でしかないのです ・・・神が今日という日に、あなたの上に降りかかることをよ しとされたことは何でも、御名のために喜んで耐え忍びなさい。しかし、明日の苦しみを見てはなりません。 「労苦はその日その日に、十分なのです」 祈祝福!
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