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2012/08/12(日) 「人生のうめき」大嶋博道牧師
 聖日礼拝 ローマ8:18〜30

(序論)
人生には「うめき」があります。「うめき」とは、理不尽な試みに出会った時に心が発する「つぶやき」です。ギリシャ語の「スステナゾー」は呻く、うなる、嘆く、苦痛のあまり低い声を出すと言った意味もあります。呻きは「なぜですか?」という神への「苦しみの問いかけ」です。
パウロも伝道者生涯の中でよくうめく人でした。それは
@パウロには持病がありました。身体に棘がありました。それは大きな棘でした。
Aパウロは、クリスチャンを迫害していた時のツケがまわってきたのではないかという苦しみがありました。
Bまた、パウロはキリスト者を迫害していたと言う経緯から「偽伝道者」と思われて迫害され、非難されることもありました。
Cパウロが建て上げた教会が、パウロがいなくなってから「異端が入る」という苦しみもありました。
D教会の中に人間的ないがみ合いが発生し、混乱すると言う事がありました。
E自分がしなければならない事をせず、してはならない事をしているという苦しみがありました。この事は、ロマ7章15節に赤裸々に告白しています。
(本論)
私たちには「うめき」があります。自分の考えている事、願っている事が実を結ばない時、弱さを覚える時に時として「うめき」を覚えます。ここから次の2つの事を学びます。
@神が私たちの中に宿られるのが「うめき」です。「うめき」の中にこそ、神が宿られるのです。ですから人生の中にうめきが無くなる事はありません。その「うめき」の中に神が共にいてくだるのです。ですから、「Glory in Groly」ではなく「Glory in Suffering」と言えます。
A神はその「うめき」を聴いてくださり、そして全てのことが益となるように働いてくださるのです。(ロマ8章28節)神はそこに最善をなしてくださるのです。その最善は、私たちの願う、望む、期待する最善ではなく、神ご自身のご計画に沿った最善です。
まとめ:
あの東日本大震災で、一人の母親が愛する息子を失いました。彼女は牧師に遺体安置所に同行し、息子を捜して欲しいと頼んだのです。牧師は承諾し、一緒に行きました。ある柩のところで、母親は立ち止まりました。「あなたの息子さんですか?」と尋ねる「いいえ、息子ではありません」と母親。しかし、彼女は夜通し、その柩の前でたたずみ、泣き続けていたのです。牧師も夜を徹してそっと寄り添いました。翌朝、彼女は「確かに息子です」と認め、呻くように泣き続けたのです。彼女が自分の息子の死を認めるのに二日要したのです。牧師はずっと、寄り添っていました。
 聖霊は私たちの呻きの真っ直中に「パラクレートス」として共に居られます。ずっと寄り添って下さるお方、慰め主、愛の神なのです。「呻き」は神の恵みです!


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